クローゼットやベッドの中、自動車の後部座席に無表情で佇む不気味な男……。バラエティ番組「水曜日のダウンタウン」の人気コーナー「人がいる」シリーズで、ドッキリ仕掛け人となる“いる人”を演じているのが俳優の白畑真逸(しらはたしんいち・55)だ。演技の道を選んだ理由、あの“俳優”と同級生だった故郷・桶川での日々、コロナが映画やドラマの現場に及ぼしている影響について、話を聞いた。(全2回の2回目/前編を読む

©️文藝春秋

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――インタビューするにあたって白畑さんの経歴を調べたのですが、詳しい情報を得られなかったんです。せっかくの機会なので、俳優になられた経緯をお聞きしたいのですが。

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白畑真逸さん(以下、白畑) 「この俳優にすごく憧れて」みたいなのはあまりないんですよ。ただ、子供の頃に青春ドラマが大好きでよく見ていました。中村雅俊さんが教師役で主演を務めていた「ゆうひが丘の総理大臣」(日本テレビ系・1978~79年)なんかを見ては、こんな中学校の生徒になりたいなんて思っていましたね。そこがスタートになって、ちょっと芸能界に憧れて、バンドやったり、いろいろやったりして、役者にたどり着いたって感じですかね。

――生まれは埼玉県とのことですが、埼玉のどちらになるのでしょう。

白畑 桶川です。本木雅弘くんが、中学の同級生で。そんなに仲良かったわけではなかったんですけど、彼が「シブがき隊」としてテレビに出ているのを見て「楽しそうだなぁ」という憧れと、「ちくしょう!」みたいな悔しさが渦巻いていましたね(笑)。

――俳優になって、ドラマや映画の現場で本木さんと一緒になったりは。

白畑 2、3年前に中学の同窓会があって、その時にサプライズで本木くんが出席したんです。「俺も俳優やっているんだ」と話したら「じゃあ、現場で会えるといいね」と言ってくれました。

バンドのボーカルから劇団員へ

――演技の道に進まれたのは、高校を卒業してから?

白畑 21歳か22歳まで桶川にいたんですけど、俳優になりたいという確固たるビジョンは持っていませんでした。芸能界に対して漠然とした憧れはあるけど、やりたいことがはっきりしない。友人がバンドをやっていたので、マネージャーみたいなことをやって手伝っているうちにボーカルをやるようになって。

――バンドって、ジャンルはロックとかポップスですか。

白畑 そうです。永ちゃん的なロック。僕らが中学、高校の頃って、ロックンロールが流行っていたんです。原宿のホコ天に行くと、ローラー族や竹の子族が踊っていて。僕もローラー族で、ホコ天で踊っていましたから。哀川翔さんが、「一世風靡セピア」の前身グループで踊っているのをよく見ていました。

 バンドでボーカルをやるようになったけど、一緒に組んでいる友人ほど音楽にのめり込めないなと思って。でも、人前でなにかを表現したい。いろいろ考えるうちにお芝居の学校に入って、そこで勉強をしていたら面白くなって俳優になりました。