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あれ、地図を見ると…?

 ……というのが玉島の歴史なのだが、どれもこれも海沿いのお話である。ところが新倉敷駅、かつての玉島駅は海とはほど遠い場所にあるのだ。つまり、玉島駅という名で玉島の玄関口として開業したものの、実際には玉島からもだいぶ離れていたというわけだ。

 それが新幹線の開通で新倉敷駅に名を変えたが、それでも倉敷の中心からは遠く離れている。なんとも不遇、あの手この手でオリンピック出場を目指したけれどかなわない、そんなような悲哀が漂っている駅なのだ。

駅前の広場の傍らにはイカリのオブジェ

 それでも、新倉敷駅は玉島の玄関口としての誇りを失っていない。駅前の広場の傍らにはイカリのオブジェ。これなどは玉島という港町をイメージしたものなのだろう。また、駅舎の階段を降りたすぐのところには良寛と童の像がひっそりと立つ。良寛和尚は江戸時代後期の僧侶で、生まれは越後だが玉島の円通寺で10年以上にわたって修行を積んでいる。

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 駅の構内にも、国鉄時代というかずいぶん昔に設けられたものがそのままになっているような「昔が聞える港町」という玉島観光案内のパネルが展示されている沙美海岸は海水浴場としても名が高い。それに何よりそもそも、玉島観光をしようと思えばこの新倉敷駅を使うのがいちばん手っ取り早いのだ。

 こうして考えれば、新幹線がやってきて新倉敷という全国的に知られている都市の名を与えられる栄に浴したが、もとからの「玉島駅」のほうがよほど良かったのではないかと思う。だってね、倉敷を名乗りながらも玉島の玄関口という役割は今も昔も変わっていないのだから。

 ちなみに、新倉敷駅の周囲の整備は玉島バイパスが開通した1990年代以降に急速に進んだものだ。駅前からまっすぐ伸びる通りも比較的新しい。もともとは駅前から斜めにまっすぐ玉島の市街地を目指す道路が通っていたが、それらを取っ払って玉島バイパスにまっすぐつながる駅前通りを整備したというわけだ。かつては田んぼが広がるばかりだった駅の周囲も少しずつ発展して市街地化が進んでいった。

「新倉敷」山側にも物語が…

 と、いうのが新倉敷駅海側の物語である。では、新幹線が通っている山側はどうなっているのだろうか。

 在来線のコンコースから少し階段を渡って新幹線の改札前コンコースに向かう。うーむ、新幹線の駅というだけあってコンコースはとにかく広々しているが、売店がたくさんあるわけでもなし、人で賑わっているわけでもなし、どうにも寂しいコンコース。さらに山側の駅前に出ようと階段を下っても広く寂しい雰囲気が続く。