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2021/10/11

genre : ライフ, , 歴史, 社会

 同じ“新”の新幹線駅でも、新大阪や新横浜とはえらい違いだ。これが「のぞみ」が停まらず「こだま」メインの駅の現実なのか。駅前に出たって、そこになにかあるわけでもなく、ちょっとした広場とあとは背丈の低い住宅などが点々と連なる街である。

 だいたい新幹線のターミナルは、本来の在来線の駅の正面とは反対側に設けられることが多い。駅前がまだ発展していない“裏側”だったからだ。新倉敷駅もきっとそうだったのだろうなあと古い地図を見ると、たしかにかつての玉島駅の北側には市街地のようなものはなにもない。

 ただ、もう少し範囲を広げてみると、駅前よりもう少しだけ北には道路沿いに建物が連なっていて、すぐ東側にはかつてこのあたりが長尾村といった時代の村の中心があったようだ。

“街の玄関口”「新倉敷」

 長尾村は江戸時代からイグサや除虫菊、綿花の栽培が盛んだった街。今でも線香や足袋、畳表といった特産品があるという。さらに山を少し越えた北には山陽自動車道の玉島インターチェンジがある。玉島ICの設置は1988年で駅と比べるとだいぶ新しいが、新幹線と高速道路のICがともにあるという点では、紛れもなく現代の交通の要衝といっていい。新倉敷駅は、そういう街の玄関口でもあるのだ。

 1891年に玉島駅の名で現在の新倉敷駅が開業したとき、かなり離れてはいるものの港町として知られた玉島の名を得た。だが、実態としては長尾という駅名のほうがふさわしかったのかもしれない。むろん所在地そのままではなく近隣の著名な都市の名が駅名に与えられるのはよくあることだ(品川駅だってそうですからね)。

 とはいえ、そうした所在地とちょっとずれた駅名ではじまったことが、倉敷にして倉敷ではないのに新倉敷という名に改められるという運命にもつながったのかもしれない。最初から「長尾駅」ならば、また違った未来もあったのだろうか。

 ともあれ、新倉敷駅は倉敷市唯一の新幹線のターミナルながらも観光都市としてイメージされる倉敷の街の玄関口ではない。だから、どうしても新幹線のターミナルとしての存在感には乏しい。

 それでも、倉敷に負けないほどの古い港町で往時の面影を留める町並みも残る玉島の玄関口であることは変わっていない。倉敷観光をする機会があったならば、ちょっと足を伸ばして新倉敷駅から玉島へ。そういう旅もいいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

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