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いま注目の幼児教育「森のようちえん」では、子どもの中の何を育てているのか

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何らかの能力を身につけることが目的ではない

 ただし、森のようちえんでの教育や自然体験が直接的にこうした効果をもたらしたのかどうかまではこれらのデータではわからない。いろいろなことを経験させる教育熱心な親に育てられたからこのような結果になっただけかもしれない。たとえば、「青少年の体験活動等に関する実態調査」によれば実は、自然体験よりも家庭でのお手伝い経験の多さのほうが、より大きな効果をもたらしているようにも見えるのだ。

 いずれにしても、「森のようちえんに通わせると逆境に強くなる」とか「自尊感情が高くなる」などという部分だけがひとり歩きするのはとても危険。「逆境に強くするために森のようちえんに入れよう」「自尊感情を高めるために森のようちえんに通わせよう」という発想は、内田さんが批判した目的志向的教育観そのものだからだ。

 その点、『ルポ森のようちえん』執筆のために私が取材した森のようちえん関係者は、「能力を身につける」「○○ができるようになる」「成長する」という表現をなるべく使わないようにしているようだった。代わりに「(その子なりに)大きくなる」という言い方を好んで使った。含みのあるいい表現だと思った。

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©️おおたとしまさ

「子どもが幸せな一生を終えたか」なんて知りようがない

 現代社会の中で私たちは、特に若いひとたちは、掲げた目標に向かって一心不乱に生きなければいけないように思い込まされている。人生には目的も結果もなくて、あるのはただプロセスの連続なのに。その途中をいかに楽しむかが人生の豊かさなのに。

 子育てでも、偏差値とか受験の合否とか、わかりやすい成果にばかり目を奪われると、目の前の子どもが見えなくなることがある。それが親子関係をおかしくすることを、私はこれまでの取材経験のなかで何度も見聞きしてきた。

 グローバル企業に就職しただとか、プロスポーツ選手になれただとか、東大に受かっただとかを子育ての成功だなんていわれたら、それこそ「その人生観大丈夫ですか?」という話だ。だって人生はそのあともずっと続くんだから。

 そもそも子どもが幸せな一生を終えたかどうかなんて、子どもより長生きする以外に親には知る由もない。要するに、幸せになった子どもを見て早く安心したいなんて、さっさと捨てるべき親の煩悩なんだと私は思う。

いま注目の幼児教育「森のようちえん」では、子どもの中の何を育てているのか

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