春休みを数週間前倒しするだけのはずだった休校が、東京都などではGW明けまで延長され、場合によってはさらに延長される可能性まで懸念され始めた。4月10日、文部科学省は、学校が指示をして家庭学習で進めた範囲は学校で再び教えなくていいとの考えを示した。要するに休校期間中の学習内容を学校が再開してから学校でリカバーするのは困難であるとの宣言だ。

運動場で間隔空け始業式を行う小学校。4月16日に緊急事態宣言の対象が全国に拡大されたことをうけて、新学期から学校を再開させた地域でも、再び休校とするところが増えている ©共同通信社

「授業の代わりとしては物足りないが、宿題としては多すぎる」

 2月末に全国一律の休校要請があって以降、私学においては早々にオンライン会議システムを利用して双方向の授業を行う学校もあったが、公立の学校においては各家庭にインターネット環境が行き届いているわけでもなく、一気に授業のオンライン化に踏み込むわけにもいかない。

 本来であれば新学年の1学期の授業が始まる時期になって、いよいよ多くの学校が家庭に学習内容を指示し始めた。習ったこともない単元について、教科書を自分で読んで理解して問題集を解いて提出することができるのは、小学生から高校生までどの学年でもごく一握りだろう。親が勉強を見てやれるほどの時間的、精神的、学力的余裕があるかどうかが子どもの学習環境を大きく左右してしまう。

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親が勉強を見てやれるかが子どもの学習環境を大きく左右する ©iStock.com

 漏れ聞こえてくる情報から推測するに、1日6時間分の“授業”の代わりとして出される学習指示は、それでも授業の代わりとしては不十分であるが、一方、子どもが1人でこなす“宿題”としては多すぎるし難しすぎる。いま全国で“宿題”のあまりの量と難易度に圧倒され、勉強嫌いが大量生産されているのではないかと心配だ。学習の遅れをつくらないことも大切だが、そのせいで子どもを勉強嫌いにしてしまっては元も子もない。

テストでいい点がとれること=「学力が高い」は本当か?

 このままでは学力格差が広がるのではないか。多くの教育関係者や保護者がいま共通して抱いている懸念であろう。しかしこの状況では手も足も出ない。子どもたちが学校に集まって師のもとでともに学ぶことを前提に考案されたカリキュラムを、この状況で遜色なく遂行できるはずがないのだ。

 そこで、極論だといわれることを承知のうえで、大胆な発想の転換を提案したい。