「今日は天気がいいので公園での青空授業にしよう」
要するに、新型コロナウイルスの影響によって生じる「学力格差」を小さくしたいのであれば、カリキュラムを弾力化すればいいのではないかということだ。具体的には学習指導要領の拘束力を弱め、現場の学校および教員の裁量を大きくすることである。そうすれば、子どもたちの状況や社会状況に合わせて教員が主体的に創意工夫をこらし、臨機応変に学習内容を組み替えられるようになる。
「今日は天気がいいので公園での青空授業にしよう」というのもありだし、学習内容によっては「今日はわざわざ教室に集まってもらう必要がない内容なので、オンライン会議システムを利用して授業をしよう」としてもいい。もともとそういうやり方になっていたら、今回のコロナ禍においても自然に「じゃあ仕方ないからオンラインでできることをやっておこうか……。いや、オンラインだからこそできることに挑戦してみようか!」となったはずだ。
授業の内容に関しても、いまこそ生物の教員がウイルスと細菌の違いについて教科書レベルを超えてオンラインでくわしく解説しても面白いし、社会の授業で緊急事態宣言の法的背景についてオンライン会議システム上でディスカッションしてもいいことになる。英語の授業では、新型コロナウィルスを扱った英字新聞を教材にしてもいいし、数学で指数関数についての問題集を解いてみてもいいだろう。
検定教科書や学習指導要領で定められている“コンテンツ”をこなすことにとらわれなければ、このようなことが可能になる。教科書に書かれている内容を無理矢理やらされるよりもよほど“学ぶ力”が育つはずだ。また教員たちの主体性や創意工夫が発揮されれば、それを見ている子どもたちに主体性や創意工夫が伝播することも大いに期待できる。
「いまをなんとかやりすごす」という発想は危険
アメリカのハーバード大学の研究者は、新型コロナウイルスの終息に2022年までの時間を要する可能性を指摘している。また、仮に新型コロナウイルスが終息したとしても、別のやっかいな病原体が現れる可能性だってある。いまだけをなんとかやりすごせばいいという発想は危険だ。
せっかくならばこの混乱を、“日本型横並び意識の象徴ともいえる学習指導要領と検定教科書の呪縛から、日本の教育を解き放つ機会”としてみてはどうだろう。そうすれば、学校や職場で「白いマスク」を指定するなどというナンセンスもなくなるのではないだろうか。