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モンテッソーリやシュタイナーが日本で広まりづらい理由

 教育基本法では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず」と定められている。その主旨によるのであれば、ひと通りの学問領域から世の中を見る視点を最低限経験したうえで、たとえば数学よりも哲学的な視点で思考したほうが“学ぶ力”を効果的に伸ばせる子どもは、数学よりも哲学により多くの時間を割いてもいいということになる。それこそが本来的な意味で「その能力に応じた教育を受ける」権利であるはずだ。

 そもそも、学校で子どもたちが学ぶべき内容を学習指導要領が細かく規定していることが、日本において、モンテッソーリ教育やシュタイナー教育やフレネ教育などいわゆる「フリースクール」や「オルタナティブスクール」と呼ばれる新しいタイプの学校が正式な学校として認可されるうえでの障壁となっていた。フリースクール関連団体は、学習指導要領の弾力化を求めていた。「何年生でこれとこれをやらなければいけない」というのを、「低学年のうちにこれくらいはやっておいてね」くらいのゆるやかな規定に変えてもらえれば、教育の自由度が向上し、教育の多様性も実現しやすくなるのである。

小学生向けのドリルを選ぶ母親。休校以降、学習参考書の売上が伸びている ©時事通信社

 しかし現実では、どんな子どもであっても同じ教材で同じ内容を学ぶことを強要されている。子どもの能力や特性に応じた学びを提供するのではなく、均一化された一律のカリキュラムに子どもを合わせる発想で学校教育が行われている。本来であれば、肉好きな子どもは焼肉弁当を、魚好きな子どもは焼魚弁当を選べるはずなのに、みんなが同じ幕の内弁当を食べさせられているようなものだ。だから入っている煮物の数が1つ少ないとか多いとかの違いが目立つ。

 子どもたちが学校に行けない状況に対して、ヨーロッパ諸国において「子どもの学ぶ権利」の危機が訴えられている一方で、日本では「学力格差」がフォーカスされるという違いは、それぞれの社会が“学校”に期待する機能の違いによるものと説明できる。これこそ、日本の教育の長年の課題ではなかったか。