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社会保障の必要性

 また、ひろゆきは日本社会に問題を効率的に解決する能力がない理由を、古いやり方に固執し、新しいやり方を拒絶する「バカ」のせいにしている。「多くの組織で旧時代的な考えの人たちがまだ上の立場にいるために、数々のばかげた不条理がまかり通っています。」(『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』76ページ)。確かに古い利権政治や頭のかたいおじさん経営者の妨害により有効な政策が打てないという側面はある。しかしひろゆきが示すような改革も、最低賃金や働き方改革の否定など、これまで蓄積されてきた労働者の権利や弱者保護の仕組みを解体するようなものも含まれており、そうしたものまで既得権益や古い価値観とみなされ、一掃されてしまうのはまずい。

ひろゆき(西村博之)著『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』(三笠書房)

 しかしひろゆきは、「バカ」はのたれ死ねとまでは述べてはいない。彼は「社会保障」の必要性を常に主張している。つまり、富裕層から税金をとってベーシックインカムを配ることによって、貧困の問題を解決せよというのだ。これはある意味では左派的な政策だといってもよい。しかしひろゆきの場合、社会福祉の理念の中に含まれている人権意識によってこのように述べているわけではない。彼にとってベーシックインカムは、いわば無能者の扶養のために必要なのだ。生産に対して役に立たない無能は、ベーシックインカムをもらって最低限の生活をしながら、せいぜい消費者として経済のために役立てばよい。これは福祉というよりは救貧の思想に近い。人権を思考の前提としないことによって、団地に生きるしたたかな庶民への温かな視線と、無能への冷淡な視線は両立するのだ。

ひろゆきの、責任概念なき個人主義思想

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 ひろゆきの人権抜き個人主義思想は、たとえば日本国憲法の中に盛り込まれている「個人の尊厳」の尊重に基づくものではない。そのために彼の個人主義は、利己主義となる。つまり、他者の存在を前提とし、様々な個人によって構成される社会を前提とし、その社会の中で自分が下した決断が他者に対して及ぼす影響について、責任を引き受けなければならぬ、という思考の機序はひろゆきの中にはない。彼の個人主義は、自分自身の自我を絶対的な基準として、あらゆるものの価値評価をその自我という基準によってしか行わないエゴイズムなのだ。ひろゆきが理想とする世界があるとするなら、このようなエゴイストたちが連帯して「バカ」を指導する楽園のことだろう。