野球の厳しさを教えないといけないから
韓国代表と、大会5度目の顔合わせとなった決勝戦。延長10回、2死二、三塁でイチローが放ったセンター前2点タイムリーは、大会前から彼が背負っていた重圧、ファンの杞憂、ライバル韓国の野望を吹き飛ばす一打となった。それまでの苦闘と、ラストチャンスで飛び出した鮮やかなライナーのコントラスト。ドラマのようなどんでん返しを演じたヒーローは、顔色ひとつ変えずに二塁上でたたずんでいた。
─殊勲打の直後、何を思ったのか。
「普段と変わらない自分でいること。それが僕の支え、ということです。これを崩してしまうと、今大会のようなタフな状況で自分を支えきれないと思っていた」
だが、イチローの真骨頂は、2点タイムリー直後の三盗だった。
呆然と立ち尽くす韓国代表ナインと、歓喜に沸く日本代表ベンチ。ドジャースタジアム全体が騒然となっていたとき、二塁走者イチローがスタートを切る。滑り込むことなく、やすやすと三塁を陥れた。
「2アウトだったから、普通は行かない。でも、あそこでは(韓国代表に)野球の厳しさを教えないといけないから」
イチローの日米通算4367安打、708盗塁に数えられていないこのヒットと盗塁こそ、彼の意地と誇りを賭したプレーだったのではないか。
胃潰瘍で故障者リスト入り
WBC連覇を果たし、マリナーズのキャンプに合流したイチロー。しかし、3月30日のブリュワーズとのオープン戦序盤に強いめまいを訴えて途中交代する。
4月2日の精密検査で胃潰瘍が判明。彼はメジャー生活で最初で最後となる故障者リスト入りと入院生活を余儀なくされた。後にブリュワーズとの試合前の状態を「(胃潰瘍の出血による貧血で)周りの景色が金色がかって見えた」と振り返り、療養先の病院では点滴針を刺したままトイレで気絶したことを打ち明けた。
実はこの年のはじめから、原因不明の倦怠感に襲われることが何度もあったという。イチローの神戸の友人たちからは、いつもの旺盛な食欲が見られなかったとも聞いていた。
─なぜ、異変を感じたときに検診を受けなかったのか。
「だって、検査で問題があったとしても、僕が(WBCに)出ない選択肢はなかったでしょう? それなら(病院に)行ってもしょうがない」
イチローはくだけた笑いとともに言った。こうして2009年シーズンは波乱とともに幕を開けたのだった。
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