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「誰が監督で、どんなメンバーで戦うかよりも、これからどうしていくべきなのか、そういう大きな視点を持って(選考会議に臨んで)いるかどうかが問題なんです」。日本野球で培ったプライドと、そこで育った者としての熱い想いが彼を突き動かしていた。

ユニホームを着る限りは、必ず何かを背負わなきゃいけない

 一連のコメントは大きな反響を呼んだ。「一選手が口を挟むことではない」との批判がわき起こる一方で、一部の北京五輪代表メンバーから支持が寄せられた。そして王貞治コミッショナー特別顧問が「(イチローの主張に)なるほどね、と思う」と理解を示したことで潮目が変わる。イチロー発言の3日後、星野氏が自身のHP上でWBC代表監督就任を引き受ける意思がないことを改めて表明。最終的には経験値の高さなどが買われ、2008年セ・リーグ優勝の巨人・原辰徳氏が代表監督に落ち着く。第2回大会は、日本代表が集まる前から何かと騒がしかった。

 自分の言葉が監督決定までの流れを変えたと思うか。もしそう感じたのなら、新たなプレッシャーが生まれたのではないか―。原・日本代表監督が決まってから約1カ月後にイチローに尋ねると、「そもそも(発言の前と後で日本国内の状況が)どうなっているのか僕は(詳しく)知らない。でも、あの(日本代表の)ユニホームを着る限りは、必ず何かを背負わなきゃいけないということです」と言った。

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 3年前、劇的な初優勝を飾った時から、第2回大会は彼にとって避けられないものになっていた。第1回大会で斬新なリーダーぶりを発揮したイチローが、再び頼られるのは当然だろう。そして彼も、あの発言の前から退路を断つ覚悟だった。

©文藝春秋

「僕が機能しなくても勝てる可能性があるチームだと思っていた」

 2009年2月16日、宮崎で代表合宿が始まった。福留孝介、松坂大輔ら第1回大会に出場した顔ぶれに加え、新たにダルビッシュ有、岩隈久志らが加わった代表候補33名。連覇を期待してサンマリンスタジアム宮崎をぎっしり埋めた約4万人が、彼らの躍動に歓声を上げる。前回の合宿初日とは大きく違う注目度も、候補選手らの顔つきを引き締めていた。

「全員が最終的に同じチームでできない。そこが分かっているのですごく難しい」

 初練習後の囲み取材で、イチローは静かに話した。合宿後、メンバーが28人に絞られることを指してのコメントだ。前回は喉が嗄れるまで大声で盛り上げたり、円陣で檄を飛ばしていたイチローが、今回はあえて自分を抑えているように見えた。

「僕が機能しなくても勝てる可能性があるチームだと思っていた」

 半信半疑で一歩目を踏み出した前回大会とは異なり、今回は最初から連覇を目指そうという雰囲気が代表チームに漂っていた。