ほぼ折れかけていた心がさらに折れた
合宿の中盤、全体練習のない2月19日。イチローは神戸にいた。前日の練習後に宮崎から伊丹空港へ飛ぶと、この日は昼前からスカイマークスタジアムの外野を走り、フリー打撃で気持ち良さそうに大きな当たりを連発した。雨模様の宮崎と対照的に、神戸は小春日和。
「雨の日にホテルで缶詰めになるのはストレスが溜まるでしょ?(この日の自主トレは)自分にはゴルフの打ちっぱなしみたいなもの。心のスイッチを切っているからストレスはかからない。僕にとってはこれが“休み”なんです」
慣れ親しんだ神戸で、行きつけの焼肉屋と喫茶店でお腹と心を満たし、足裏マッサージを受けてから、最終便で宮崎へと舞い戻った。
ここまでは、すべてが順調に見えた。
東京ドームでの1次ラウンド。イチローの打撃内容は周囲を心配させるに十分だった。3月5日の中国戦では5打数ノーヒット。2日後の韓国戦で3安打したものの、その後も状態は上向かない。米ペトコ・パークに舞台を移した2次ラウンドでもキューバ戦、韓国戦と無安打で、2次ラウンド初ヒットは敗者復活のキューバ戦7回にようやく記録した。
「ほぼ折れかけていた心がさらに折れた。僕だけがキューバのユニホームを着ているように思えた」
その直前の打席ではバントを失敗していただけに、安堵と悔しさの入り混じった顔だった。
「世紀の大誤審」が発生した前回大会の雪辱を果たすが…
イチローは2006年の前回大会でも終盤まで調子が上がらなかった。これはピッチャーのリリースのタイミングが異なることが原因と推測できた。日本や韓国などアジア系投手が始動からリリースまで「1、2、の、3」とわずかにタメが入るのに対し、メジャー投手は「1、2、3」で投げ下ろしてくる。マリナーズ入団からすでに8年が経過し、すっかりメジャー流に慣れていたイチローが短期間で修正を施すのは簡単ではなかった。
復調の兆しが見えたのは、ドジャースタジアムでの準決勝・米国戦だ。チームは9対4で快勝。ボブ・デービッドソン審判による「世紀の大誤審」が発生した前回大会の雪辱を果たしたが、イチローは素っ気ない口調だ。
「前回のストレスを発散した、そんな感じでいいんじゃないの」
感情を表さず、何事もなかったように勝つことが相手にとって最も屈辱だと、イチローは敗者の心理を想像しながらコメントしていた。この試合でのヒットは1本だったが、打撃のフィーリングと普段の強気が戻りつつあった。