2001年、新庄剛志とともに日本人野手として初めてMLBデビューしたイチローは、1年目から新人最多記録となる242安打を達成するなど、世界最高峰の舞台でトップクラスの活躍を見せた。そんなイチローには、日本野球界、そして日本人プロ野球選手に対して抱く疑問があったという。

 ここでは、野球記者として活躍する小西慶三氏の著書『イチロー実録 2001-2019』(文藝春秋)の一部を抜粋。イチローの考えを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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チーム81試合消化時点で117安打、開幕から9試合目で戦列復帰

 セントルイスでのオールスターには、9年連続で出場が決まった。ニューヨーク、ロサンゼルスなど大票田の本拠地を持たないにもかかわらず、8度目の先発出場(ファン選出)は同球宴選出メンバーでは最多だ。推薦も含めた9度目の出場は、90年代から常連となっていたデレク・ジーター、マリアノ・リベラ(ともにヤンキース)の10度に次ぐ。選ばれる前からオールスター戦のテレビコマーシャルに他のスターらと共演する状況が、メジャー8年半の蓄積を表していた。

「(自分のシーズンを)スタートしたときに一番遠い場所にいたわけだから、それを考えれば(投票してくれたファンには)『ありがとうございます』ですね。最初(4月半ばにチーム合流したころ)は考えられなかった」

 チーム81試合消化時点で117安打。開幕から9試合目で戦列復帰したイチローが、この時点でヒット数両リーグトップを独走していた。「最低でも100本と考えていたので、まあまあ(のペース)。プラス17(本)ですから、ペースとしては悪いわけはないわね」。この時点での1試合平均安打数1.6は、年間最多安打記録を更新した2004年の1.63に次ぐものだった。

©文藝春秋

先人を乗り越えた縁

 7月8日、ツインズのジョー・マウアーが規定打席に達し、リーグ打率首位を自分から奪ったときは、笑みを浮かべて「マウアーなら許す」と言った。「誰がそこにくるか、ですからね。マウアーだったら全然いい。ほかのしょうもない選手だったらカチンとくるけど」。マウアーは高校時代を通じて、公式戦で2度しか空振りをしなかったとの逸話を持つ。そんな天才肌との競争が、イチロー自身の描くストーリーにはまったのか。悔しさは感じさせず、むしろ後半戦の争いが楽しみなようにも見えた。

 7月13日、オールスター前日の午前中、イチローはセントルイス郊外にあるジョージ・シスラーの墓を訪ねた。2004年に自身が破るまで、1920年から80年以上もシーズン最多安打記録を守り続けたシスラーの墓碑には「1973年3月没」の文字がある。その約7カ月後に生まれた彼は、「なにか特別な思いがした」とあらためて感慨を抱いていた。

 セントルイスを訪れるのは2度目、前回は2004年7月の交流戦。その約3カ月後に先人を乗り越えた縁。「2004年に(安打記録更新で)シスラーさんをちょっと起こしちゃって、今回もまた突然起こしてしまった。お休み中にすいません、という感じでしたね」