それでも妻は自分の要求を通そうと、署内に響き渡る声で泣き叫んだ。だが遺体を安置している場所に案内しようとしても足を向けることさえせず、亡くなった夫の顔を一度も見ないまま、妻は補償金の要求を続けて帰っていった。「いたたまれない気持ちになった」と遺体に付き添っていた警察官は、故人の顔をしみじみと眺めたそうだ。
だが警察での騒ぎはこれで終わらなかった。緊急ビザで来日した彼の兄弟たちが、事故に納得がいかないと署内で泣き喚き、誰かれ構わず悪態をついたのだ。国柄や民族、文化慣習にもよるが、死んでしまった人間より、生きている自分たちのほうが大事という意識が日本人よりも強く表れやすいのかもしれない。彼らもまた遺体に会おうとはしなかった。
警察関係者は「この家族は、相手は日本人だ、騒いだら騒いだ分だけお金が取れるはず」と思い定めていたのではと推測した。「死んだ人間が、生きている人間にできる最後の奉仕は金だとでも思っていたのだろう。地縁血縁の結束は固いといわれる中国人だが、死んでしまえばそれも関係ないのか」と愕然としたという。
中国大使館からも担当者が調停に来たが、家族のあまりの剣幕に気押され、話し合いから手を引いた。いくら被害者といっても、彼らの要求通りになるはずがない。来日していた兄弟たちは彼を放って帰国し、妻はその後も夫を警察に預けっぱなしにした。解剖され、裸のままで寝かされた遺体は保冷庫の中で乾燥して干からびていった。
「日本人の考えには、初めに死がある。そして遺骨というものに意味をもたせている」
1985年、御巣鷹山に墜落した日本航空123便の事故で、遺体の確認捜査の責任者だった警察官、飯塚訓氏の著書『墜落遺体』(講談社+α文庫)には、外国人の文化や宗教観からくる遺体への感覚の違いが書かれている。
この事故で犠牲となった外国人は22名。その中には駐米日本大使館からの連絡に「遺体はそちらにおまかせします」と言ったというアメリカ人男性の家族や、来日して身元確認したが「息子は死んで神に召された。死んだことがわかったので死体は持ち帰らなくてもいい」と言ったイギリス人男性の父親のことが書かれている。
飯塚氏は、日本人には死体を生きた人間と同じように扱うという感覚が強く、「日本人の考えには、初めに死がある。そして遺骨というものに意味をもたせている」と書いている。日本人にとって遺体や遺骨は大切なものだが、外国人にとっては重要な意味をもたない場合もあるのだろう。
30代の中国人男性は結局、自宅に帰ることもなく警察署から火葬場へと運ばれ、葬儀もないまま荼毘に付された。遺骨となった彼が、母国に帰れたのかどうかわからない。