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なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界”

なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界”

「コロナ後の世界」を考える#2

2021/10/30

source : ライフスタイル出版

genre : ニュース, 社会, 歴史, 読書

note

 日本がますます貧乏になり、生産力が低下し、国力が衰退しているのはなぜか? 国力を回復する真の手立てとは何か? 新著『コロナ後の世界』を上梓した思想家・内田樹さんが語る“コモンの再生”のビジョン。

 

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衰退の一途を辿る日本

――最近のニュースでもOECD諸国と比べた時の日本の平均賃金の安さ、アメリカの約半分で、韓国より低いことが話題になっていました。日本がいま国際競争力から科学技術力まで国力の衰退の一途をたどっている要因はなんでしょうか。

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内田 日本の国力が衰微している最大の理由は、多くの人が短期的な自己利益の増大に走って、長期的なタイムスパンの中で、自分と共同体の利益を安定的に確保するためにはどうしたらいいのかを考える習慣を失ったからです。目先の自己利益ばかり考える利己的な人間ばかりになったら、市民社会も国民国家も持ちません。

 近代市民社会は、ロックやホッブズやルソーによれば、私権の一部について制限を受け入れ、私有財産の一部を供託して「公共」を立ち上げたことによって成立します。周りの人間をすべて「敵」とみなして、「万人の万人に対する戦い」に心身をすり減らすよりは、短期的には私権の制約、私財の供託を受け入れて、公権力による統治を受け入れた方が長期的には自己利益が多いと人々が判断した。そういう話です。人間は利己的にふるまうはずなので、「短期的な損」を受け入れることで「長期的な得」を取ると考えた。でも、この近代市民社会論では「人間は長期的な自己利益を配慮する」ということが今はもう前提として採用されなくなった。「長期的な自己利益を考える」という知的習慣がなくなってしまったからです。今ここでの目先の利益が得られるなら、「あとは野となれ山となれ」という人たちが統治機構をコントロールして、政策を立案して、ビジネスをやっている。

 今の日本はもう近代市民社会の体をなしていません。私権私財を削って、公共に供託するどころか、逆に、公権力を用いて私利私欲を満たし、公共財を奪って私財に付け替えるような人たちばかりがエスタブリッシュメントを形成している。「そういうことができる」ということが権力者なのだ、そのどこが悪い。文句があるなら、まず自分が権力者になってみろ…というタイプのシニカルな権力観を平然と語る人たちが「リアリスト」を名乗っている。

日本は国際社会から敬意を寄せられない国に

――モリカケ問題から五輪利権まで、公の中心を担う人々が小賢しいスキームを考え出しては自己利益を追求しています。

内田 これはシリアスな亡国の兆しだと思います。豊かで安全な社会で暮らしたいと思うなら、公共財を削り取って私腹を肥やすより、わずかであっても公共のため、他者のために、みんなが「貧者の一灯」を持ち寄って、厚みのある公共を構築することが一番効率的なんです。本当に利己的な人間であれば、短期的には非利己的にふるまうはずなんです。その近代市民社会論の出発点まで戻らないといけないと思います。