文春オンライン
なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界”

なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界”

「コロナ後の世界」を考える#2

2021/10/30

source : ライフスタイル出版

genre : ニュース, 社会, 歴史, 読書

note
コロナ後の世界』(文藝春秋)

――行政のアウトソーシング化ですね。

内田 公務員を減らして、その分の仕事を派遣会社に丸投げしていますが、たしかにそうやって非正規職員を増やせば人件費コストは削減できるでしょう。でも、人材派遣会社から送られる非正規職員に、公務員としての責任感や忠誠心を求めることは無理です。労働者が給料分以上の働きをするときの最大のインセンティヴは組織に対する帰属意識と、与えられた使命を全うしようとする責任感です。行政をどんどん民営化して、ドライな雇用関係に置き換えてゆけば、たしかに安い労働者を使い倒すことはできるでしょうけれど、彼らにオーバーアチーブを期待することはできない。しかし、全員が「給料分しか働かない行政組織」が厚みのある、手ざわりのやさしい公共セクターを管理運営できるはずがない。

 パイが大きくなっている間は、人間はあまりパイの分配方法については文句を言いません。でも、パイが縮み出すと、急に「どういう基準で分配しているのだ。誰がもらい過ぎているのだ」と言い出す。自分の取り分を増やすためには、隣の人の取り分を減らすしかないと思っている人たちが、どうやって他人の取り分を減らすかばかり考えるようになる。

ADVERTISEMENT

 今の日本で起きているのはそういうことです。全員が他人の取り分を減らす競争をしているわけですから、パイが大きくなるわけもないし、味がよくなるわけもない。ただ、お互いの足を引っ張り合いながら、全員が貧乏になるだけです。

新自由主義は先がないということに気づいてよい頃だ

――それは新自由主義の弊害も大きいのでしょうか。

内田 新自由主義の「選択と集中」というのは、パイが縮んでいるんだから、生産性のないメンバーにはパイをやるな、生産性の高いメンバーにだけパイを食う権利があるという露骨な弱肉強食イデオロギーのことです。それで25年やってきた。そしたら、日本はますます貧乏になり、日本の生産力はますます低下し、人々はますます暗い顔になってきた。もういい加減に「こんなやり方」をしてたら先がないということに気づいてよい頃です。

 斎藤幸平さんや白井聡さんのような若い世代から「資本主義はもう先がない」ときっぱり主張する人たちが出てきたのは当然だと思います。短期的な金儲けのことより長期的な視野で地球環境を考えないと、人類全体が致命的な損害をこうむるということは誰が考えても、わかっていることです。でも、そのための政策を若い人たちが必死に訴えて、それからメディアが反応して、それから政治家がいやいや重い腰を上げるというあたりに日本の指導層の構想力の衰えを感じます。