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 そして、たいして綺麗でもなかった私たちも、ウイルスにとっては宿主に過ぎず、それと同時に単なる生物に過ぎないこともまた、浮き彫りになります。どんなに知性があると誇ってみても、動物であることは変わらない。いろんな細菌やウイルスと共存し、遺伝子を運ぶ入れ物としての肉体がそこにあるだけです。これだけ必死に生き延びようとするのも、このウイルスによる災禍を子孫に悪い影響として残さないようにするために他ならない。

ひどいことがたくさん可視化されたことも

 そうかと思えば、コロナウイルス流行の危機を前にして、私たちの知識のいかに脆弱なことか。尊敬する知識人だと思っていた人たちがいきなり「コロナは風邪」と言い始めたり、逆にコロナウイルスを怖れ過ぎて田舎へ疎開したり、明らかに効果のない薬剤を「効く」と言って周辺に薦めたり、そればかりか空間除菌のできる薬剤を買い込んだり、コロナは怖しい感染症だっただけでなく、人間はそれほど賢くないのだという証拠を突き付けながら危機に直面した人間の醜態を次々と暴いていきました。

 コロナのおかげで、まともな知識人とそうでない人たちとがある程度リトマス試験紙のように分別できるようになっただけでなく、コロナで不安に駆られた人々が安易に陰謀論に走り、財務省のせいだとか、医師が儲けるためにコロナ問題を煽っているとか、イソジンがコロナに効くと言われて薬局に大阪府民が殺到するとか、ひどいことがたくさん可視化されたのもまた事実なんです。

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©iStock.com

 そんないろんなことを暴露してくれたコロナウイルスが年末に向けて終息っぽい方向に向かい、緊急事態宣言が無事解除になると、みんな積年の恨みを晴らすかのようにどんどん宴会の予定を立て、旅行を始め、映画や観劇、スポーツ観戦に繰り出そうとします。まるで、いままでの不安をかなぐり捨てるかのように。

最後の関門も、やはりタイミング

 みんな我慢してたんだね。よく頑張った。偉い偉い。しかし、不要不急の宴会も含めてどんどん夜の予定が埋まっていきます。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ。しばらく酒を控えていた私も、言われてみれば友達と酒が飲めるというだけでこんなに晴れやかな気分になれるものなのかと実感するわけであります。ああ楽しい。

 もし菅義偉さんがオリンピックをもう数カ月開催を遅らせてくれていれば、いまごろは外国人観客もたくさん呼び、みんな肩を組みながら酒飲んで応援してたんだろうなあと思うと、タイミングがズレると随分もったいない話がたくさんあるもんだなと思いましたね。せっかくそこそこ暖かくて、過ごしやすいところだったのにね。

 したがって、最後の関門も、やはりタイミング。すなわち、「いかなる条件(感染者数やワクチン接種状況など)で、いつ、どのようにしてマスクをやめるか」です。