東京五輪男子スケートボードで金メダルに輝いた堀米雄斗さん。彼のキャリアにはスケートボーダーであった父・亮太さんの影響が大きいのは、一部愛好家の間では知られた話。堀米親子がどのようにスケートに出会い、育ってきたかを父・亮太さんに聞いた。(全2回の1回目/後編に続く)

金メダルリスト・堀米雄斗さんの父・亮太さん ©今井知佑/文藝春秋

◆◆◆

スケートボードに夢中の学生時代

――まずは亮太さんのスケートボードとの出会いについて聞かせてください。

ADVERTISEMENT

堀米亮太さん(以下、堀米) 中学校に入学した時に仲良くなった友達がスケートボードやっていたんです。それで、「ちょっと乗らせてくれよ」ってスケートボードを貸してもらったのがきっかけです。運動神経には自信があったので、こんなもんすぐ乗れるだろうと思ったら全然できなくて。なんていうんですかね、プライド傷つけられたじゃないですけど(笑)。そこからはまっていきました。

――それからスケートボード中心の生活に?

堀米 もうガッツリですね。足が結構速かったんで陸上部だったんですけど、スケートとの出会いでまるっきり頭の中が変わっちゃって。以来陸上の練習をしてなかったので、部活動を終える中学校3年生の頃には、部で一番足が遅くなってました(笑)。

離れていたスケートボードにカムバック

――やがて結婚されて、雄斗さんが誕生……となってくると思うんですけど、スケートボードは続けていましたか。

堀米 いや、そんなことないです。離れましたね、一回。やっぱり雄斗が生まれた時に、「子供生まれたんだから」と周りからも言われて。当時は大きなトラック乗ったり結構ハードな仕事もしてたので少し離れていたんですけど、ここの噂を聞くんです。

SSPというスケートが可能な場所。現在はスケートボード禁止 ©今井知佑/文藝春秋

――この場所でスケートボードが復活するのですね。

堀米 「ここでやってるらしいよ」みたいな噂を聞きつけてまた滑るようになりました。

――そのときに雄斗さんも連れて来ていたのでしょうか。

堀米 そうですね。雄斗を連れて来たのは、自分が滑りたいから「公園にちょっと散歩に連れてくわ」と理由をつけて(笑)。まだ歩けもしない雄斗をちょこんと置いとくと誰かが見ててくれて、自分はひたすら滑っている……みたいな(笑)。