エアーを習得してから実力が逆転
――雄斗さんのスケートが上達するために意識したことは。
堀米 小さい頃は脚力がないので、バートの中でいろんな動きをさせました。子供なので、転び方もすごくうまいんです。
そうこうしているうちにローカル(※日常的にその場所でスケートをしている人たち)が雄斗に目をかけてくれて、いろいろ教えてくれましたね。
――雄斗さんが頭角を現わしはじめたのはいつでしたか。
堀米 バートでエアー(※空中に飛び出す技の総称)を覚えたあたりですかね。当時「バートってどんな感じなんだろう」って、雄斗と一緒に練習していたんです。僕自身もなかなかバートのエアーのコツが掴めなくて。
でも、ローカルのアドバイスを聞いているうちに、今までできなかったものが突然できるようになったんです。同時に雄斗もできるようになっていて。3ヵ月後には雄斗の方がぜんぜん上手でした。そこから完全に逆転ですね。
――コンテストはいつぐらいから出るようになったんですか。
堀米 自分があんまりコンテスト出てなかったもんだから、出させてなかったんです。そしたらスケートパークのオーナーが「なんでお前大会出ないんだよ」と言ってくれて。そんなに言うなら「出ようか」と。
――そこからいろんな大会に出るようになって快進撃が始まると。
堀米 そうですね。バートとかのコンテストもアマチュアとして出るようになって。それでだんだん目をつけられるようになってきましたね。
子供に投資するために仕事の他にアルバイト
――子供の頃は学校終わったらずーっと滑っていると思うんですけど、スケートデッキやシューズの消耗はすごかったんじゃないですか。
堀米 そうですね、早かったですよ。特にバートは靴の消耗が早いんです。だからつま先にガムテープ貼ってやってました。当時は靴に穴が空くまで履かせていましたね(笑)。
小学校3年生ぐらいの時にはもう僕なんかよりも全然上手くなっていたので、自分が滑ってるより子供に投資した方がいいと思って、仕事の他にアルバイトとか始めたんです。スケートデッキや靴以外にも、海外の大会に行くときの遠征費もかかっていたので、そういうお金を稼ぐために同僚の洗車のアルバイトとかもしましたね。
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