子供の頃にスケートボードに出会い、それぞれがスケートとともに育ってきた堀米親子。今や国民的英雄である堀米雄斗さんの父・亮太さんに子供の才能を伸ばす方法について話を聞いた。(全2回の2回目/前編から続く)
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海外での活躍で芽生えた子離れの意識
――雄斗さんと一緒にスケートをして育ってきて、親離れ・子離れの瞬間について教えてください。
堀米亮太さん(以下、堀米) 小学校5年生の時に韓国のバーチカル(※トランジションの面の最上部が地面に対して直角になっている巨大なハーフパイプ。バートやバーチなどとも呼ばれる)の世界大会に連れて行ってもらったんです。たしか済州島で行われたんですが、僕は行かずに雄斗だけ連れて行ってもらいました。そこで海外のプロスケーターにすごく褒められたらしいんです。そのあたりから、「もう親いらねーよ」感が出てきました。
――なるほど。ちょっと寂しいですね。
堀米 そうですね。でもその時は「まだ自分が見ていたい、教えたい」という気持ちもあったので、ちょくちょく口出したりしていました。
自発的な部分を育てることの大切さ
――子供の才能を伸ばすにはどう育てたらいいと思いますか?
堀米 僕も言える立場じゃないんです。雄斗にスケートを教える中で、変なプレッシャーがあったんです。「元スケーターが教えてるからうまいのは当たり前」とか勝手に思い込んでいて。だから初めの頃は厳しく教えていました。周りの人も「厳しいお父さん」という感じで自分のことを見てたと思うんです。
でも自分はスケートボードを長年やっているので、スケートとの向き合い方はそうじゃないというのをわかってるじゃないですか。そこに結構ジレンマがありました。やっぱりスケートボードというのは、自発的なのが一番いい部分だと思うんです。僕らなんかも誰に言われるわけでもなく、自分たちで活動するじゃないですか。あのパワーが一番だと思うんですよ。だからそうなって欲しくて、口出しするのを我慢しながらやっていました。
だからある意味ね、僕にずっとくっついていたら、雄斗はあんなになってなかったと思います。スケートパークにひとりで行って、パークのオーナーに「この技できたらアイス買ってやるよ」とかいじられて。そういうのがあったから、どんどんスケートが楽しくなっていって……。そうなっちゃえばもう親は見守るだけ。
なにしろ一番びっくりしたのは、僕が想像していたよりずっとスケートボードが好きになっていたということ。僕らの世代って、プロでさえ週に5日も滑れば、かなり滑ってる方だったと思うんです。