ときに包丁を突きつけられ、ときに袋に詰められて玄関の外に放り出され……。理不尽に怒る母との暮らしから抜け出し、ゲイ風俗やゲイバーで働きながら自立を目指したもちぎさん。同氏が、かつての日々を赤裸々に振り返った漫画やエッセイはSNSを中心に多くの反響を呼んだ。
現在、コロナ禍を経て、もちぎさんと母との関係はどうなっているのだろうか。ここではもちぎさんの新刊『あたいと他の愛』(文春文庫)の一部を抜粋。母と再会した際に投げかけられた衝撃の言葉の数々を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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東京に来て2年目、母ちゃんから着信があった
東京に住み始めた当初、ゲイ風俗で働き始め、周りのゲイの同僚とよく将来の不安を話し合っていた。会話を重ね、自分の中で生きていく目標を確立させていくにつれ、あたいは自分が本当にやりたいことが分かり始めた。
“自分と、世の為になるような仕事がしたい。そんな職に就く為にはまず大学生になるのが近道な気がする、だからやっぱり大学生になりたい”
漠然とした目標だった。でも今まで生活費を稼ぐことに日々追われていた18歳そこらのあたいには、それが精一杯の夢だった。
今までの母ちゃんとの生活は未来も見えなくて不安に感じたし、1人で生きていくにしても風俗はやっぱり不安定でしんどかった。安定と夢を叶えるための職、つまり《大人である確かさ》があたいは欲しかったのかもしれない。
とにかく上京した1年目は、勉強とゲイ風俗の出勤にひたすら時間を費やした。塾や予備校に行けるほどの余裕も無かったから、周りの人間のサポートに甘えまくった。幸い、あたいの周囲には色んな人間がいたから、受験に必要な教科は誰かしらが詳しく専門的に教えてくれた。学生や大卒であってもゲイ風俗にそれだけ在籍しているという現実や事実があったわけ。
そしてあたいは、人より遅れて大学になんとか入学した。
東京に来て2年目。学生生活も始まり、さらに未来が切り拓かれていく思いがしたある日。
母ちゃんから、着信があった。
あたいは血の気が引いたけど、でもなんとか電話を取った。取るしかないと思ったから。じゃないと、姉ちゃんの方にも何か連絡が入ったら困るし、あの人は無視してどうにかなる人じゃないから。
臭いものに蓋するよりも、向かい合って自分の手でどうにかしよう。
その一心で電話に出た。