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「飢えた子供たちの目が忘れられません」

 当時、北朝鮮は2500万人ほどの人口を抱えていたが、ロイター通信によると、当時の餓死者は30〜300万人以上だと推計されている。しかし、現地で暮らしていた川崎さんは「そんなもんではない。5人に1人は亡くなっていたような感覚です。500万人は亡くなっているのではないか」と語る。

「バス停でバスを待っていると、飢えた子供たちがたくさんいるんです。20、30人とか。歩ける子がいれば、今にも死にそうで壁にもたれかかっていたり、地べたに横になっている子も……。見ていられなくてパンを買ってあげました。食べられないくらい弱っている子もいて、先に水を飲ませてあげました。そのときの子どもたちの目が忘れられない。

1997年5月、食糧危機にある北朝鮮を訪れた国連児童基金(UNICEF)スタッフが、現地の子供の腕の太さを測定し栄養状態を確認している。 ©️時事通信社

 食べ物のない親は、子供を生き残らせるために、家から追い出していたんです。家にいても食べていけないことは目に見えているので。でも、追い出された子どもたちはビニール袋を持っているんです。自分も極限状態なのに、親にあげるためにと、外で得た食糧を取り分けていました」

生きるため…「人肉」目的の殺人が横行 人肉冷麺販売も

 食糧配給が止まった北朝鮮では、スリや詐欺はもちろん、生きるための殺人・強盗などあらゆる犯罪が横行したという。なかでも衝撃的なのが「人肉」を得るための殺人だ。

「人が人を殺して、食べるような事件もありました。近所でも自分の家族を食べている人がいましたから。日本からの帰国者女性で現地で結婚した人が、姑と旦那に殺されて食べられたケースもありました。

 一番ショックだったのは、職場で党の副委員長をしていた、政治大学を出たとても紳士的な知識人の犯行です。その人が16人も殺して、その肉で母親が冷麺を作って売っていたんです。逮捕されて、この事件を知ったときは本当に驚きました。

 私の親しい大阪から北朝鮮に渡った友人は、弟からお金をもらって裕福な生活をしていましたが、お金を持っていたことが原因で一家まるごと殺されてしまいました」