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戦後2番目の景気回復「いざなぎ超え」への道のり

 00年代初頭は都銀の再編が相次ぎ、誕生したりそな銀行は自己資本不足に陥った。政府は03年5月、初の金融危機対応会議を開いて、りそなに予防的に公的資金を投入。小泉首相は「今後とも金融システムの安定を確保していく」と表明した。これを市場が好感して日経平均株価が反転し、この前後から「戦後最長の景気回復」(02年2月~08年2月、73カ月)を迎える。

最近の小泉純一郎氏 ©杉山秀樹/文藝春秋

 その後はリーマン・ショックがあり、日本でも「リーマン・ショック不況」(08年3月~09年3月)があったが、比較的回復は早く、東日本大震災と原発事故があったものの、日本経済は「12年11月に景気の底を打って、12年12月から景気回復が続いている」というのが政府の公式見解だ。実感は乏しいが、現在の景気回復は高度成長期の「いざなぎ景気」を超え、戦後2番目の長さという。

「デフレ好況」の時代をどう捉えるか

 しかし、問題がすべて解決したわけではない。97年の金融危機を経て、日本経済は翌98年からデフレになった。もちろんデフレにはいろんな要因があり、生産年齢人口(15~64歳)が95年をピークに減少していることが構造的要因としてあるだろう。政府見解を私なりに解釈すれば、現在はデフレなのに景気回復が続くのだから、「デフレ不況」ならぬ「デフレ好況」ということになる。それでも安倍政権はデフレ脱却をアベノミクスの最優先課題に掲げており、日銀は物価上昇率2%を目標に13年4月から異次元の金融緩和を続ける。しかし、当初2年後だった達成時期は何度も先送りされ、専門家の間でも実現を疑問視する声がある。

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日銀の黒田東彦総裁 ©深野未季/文藝春秋

 物価上昇率2%を実現するために、日銀は16年1月にマイナス金利の導入を決めた。長期にわたる金融緩和の影響は大きく、不動産経済研究所によると、17年上半期の首都圏の新築マンションの平均価格は5884万円とバブル末期の91年以来の高値となった。日経平均株価は17年11月、92年1月以来、約25年10カ月ぶりに一時2万3000円台を回復し、バブル崩壊後の高値を更新した。