築地の中華料理店で起きた一家4人惨殺事件。現場はふすま一面に血しぶきが飛び散り、まるで血の海だった。警察は第一発見者である従業員の山口を疑うが、彼が証言した謎の新入り女性の存在により容疑は晴れる。

 釈放後、捜査に猛烈に協力しメディアの寵児となった山口だったが、事件は誰もが予想だにしない結末へと向かっていく――。1951年(昭和26年)東京で起きた事件の発端を、鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

写真はイメージ ©getty

◆◆◆

ADVERTISEMENT

中華店を営む家族4人が殺害

 1951年(昭和26年)2月22日午前9時20分ごろ、東京都中央区築地の築地警察署の刑事部屋に、1人の男が血相を変え飛び込んできた。署のすぐ真裏にある中華料理店「八宝亭」の見習いコックで、毎日のように出前に訪れていた山口常雄(当時25歳)である。

 署員にも顔なじみの山口曰く、店の主人一家が血まみれで倒れているという。

 さっそく現場に急行した刑事は、今まで経験したことのないような凄惨な現場を目の当たりにする。ふすまが一面血しぶきで染まった階下の4畳半で、店主の岩本一郎(同42歳)、妻のキミ(同40歳)、長男(同11歳)、長女(同10歳)が寝間着姿のまま頭部をかち割られ死亡していたのだ。

 調理場の冷蔵庫に凶器と思しき血の付いた薪割り用の鉈が残されていたことから、警察は殺人事件と断定。捜査に乗り出す。

 被害者4人の胃に残されていた食物の消化状況から死亡推定時刻は午前4時ごろと判明。また、家から現金4万円(現在の貨幣価値で約160万円)の他、残高14万円あまりの預金通帳、女物の腕時計、財布が奪われていることから金目当ての犯行であることは間違いなかった。警察は改めて第一発見者の山口から詳しい話を聞き、以下の証言を得る。

 八宝亭で働き始めたのは2カ月前の前年12月10日。事件当日の午前9時ごろ、間借りしている2階の部屋で目覚め下に降りたところで血みどろの4人を発見した。前夜は仕事で疲れており深夜12時ごろ床についたが、そんな日はサイレンが鳴っても目を覚まさないので異変には一切気づかなかった。ただ、従業員募集の貼り紙を見て事件前日から住み込みで働き始めた太田成子という女性がどうも気になる。