戦後の混乱期、路上生活者を救う「模範的施設」と称賛された岡田更生館。しかしその実態は、公金横領を隠蔽するために収容者を監禁・虐待する地獄の空間だった。

 脱走者はバットで撲殺され、遺体は裏山で秘密裏に焼却。潜入取材で暴かれたその全容を、鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

写真はイメージ ©getty

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「模範的施設」は嘘だった

 太平洋戦争末期、日本の都市部は連日のように米軍の爆撃機・B29による空襲に遭っていた。岡山県岡山市も例外ではなく、1945年6月29日の未明に140機が襲撃、1737人が死亡し市内は焼け野原と化す。1ヶ月半後の同年8月15日、敗戦。

 同市中心部には500人以上の浮浪者が路上にあふれた。こうした状況は国内各地で起こっており、戦禍により家や家族、職を失い路上生活を強いられていた者は日本全体で約30万人。中には、生きるために犯罪に手を染める者も少なくなかった。

 治安の悪化を懸念したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は1946年半ばから、そんな浮浪者を保護し衣食住を提供する施設を全国62ヶ所に設置。岡山県でも「更生館」と呼ばれる施設が3つ建てられ、その中でも最も規模が大きかったのが、ピーク時には500人以上の収容者を抱えた吉備郡岡田村(現・倉敷市真備町岡田)の岡田更生館である。

 同館は設備や収容者への扱いが良く、当時の新聞に「模範的施設」と書かれるほどだったが、実際は収容者を養うための公金を施設長らが横領、その発覚を恐れて収容者を監禁・虐待、死に至らしめる地獄の空間だった。