1953年、青森県で一家7人が惨殺される「新和村一家7人殺害事件」が起きた。犯人は実家を追われ、極貧生活を送っていた24歳の三男。
のちに都市伝説「杉沢村伝説」のモデルとなった凶悪事件はなぜ起きたのか? 鉄人社の文庫新刊『戦後まもない日本で起きた30の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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貧しい村で生まれた三男が⋯
1953年(昭和28年)12月12日、青森県中津軽郡新和村(現・弘前市)でリンゴ園を営む一家7人が皆殺しに遭った。
犯人は一家の三男で、父や長兄から冷淡な扱いを受けたのが動機だったが、裁判では犯行時、心神喪失状態だったと認定され、殺人については無罪判決が下った。本件は地元紙『陸奥新報』により「青森県史上最も凶悪な殺人事件」と報じられ、津軽地方に残る封建制や次男・三男問題、戦後の道徳低下など多くの社会問題が浮き彫りとなった。
後に大事件を起こす水木鉄次は1929年(昭和4年)、8人兄弟の三男として、岩木山の裾野にある新和村の小友集落で生まれた。
同集落はリンゴ栽培が盛んな青森県でも屈指の豊かな農村で、事件当時の人口は数百人(約300戸)。もっとも、集落内の貧富の格差も激しく、村の8割は極めて裕福だった一方、残る2割は極度の貧困に苛まれていた。
さらには、金持ちの家でも、当時の小友は新民法で「家族平等の原則」が導入されて以降も、家の財産は全て長男が継ぐ封建的な習慣が残っており、次男や三男、女性は蚊帳の外というのも当たり前の状況だった。
