実家の物置小屋に忍び込み⋯

 同年10月、間借りしていた民家を追い出された鉄次は親戚宅に間借りすべく頭を下げたものの断わられ、その家の物置小屋の庇を借り暮らし始める。小屋は極めて汚く、藁を敷いて雨露を凌いでも、強風や吹雪の夜には耐えられないほどの寒さが襲った。

 炊事もできず、桶の修理の仕事で得た金ではろくに食事も摂れない。そんな極貧暮らしに苦しむ鉄次に対して、父親や長兄夫婦は援助の手を差し伸べることはなく、鉄次の彼らへの憤りは日に日に強くなっていく。

 後の証言によれば、このころ鉄次は村の駐在巡査に「親の家から物を持ってきても罪になるか」「正当防衛とは何か」などと聞いていたそうだ。

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 同年12月12日午前1時ごろ、鉄次は味噌を盗もうと実家の物置小屋に忍び込む。実家には、彼に同情的だった祖母に食べ物をもらうため、2、3ヶ月に一度、密かに戻っていたが、このときは祖母にも内緒の行動だった。

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 なぜ優しかった祖母の顔を粉々に⋯7人殺害の三男の「驚きのその後」とは。

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