酒癖が悪く、愛人に溺れた父親

 鉄次の父福三郎は1.3ヘクタールのリンゴ園と0.7ヘクタールの水田を所有、消防団長を務めたこともある村の顔役だった。が、根っからの吝嗇家で酒癖が悪く、外に愛人を持つなど家庭不和をもたらしていた。

 そんな寒々しい空気が流れる家庭で鉄次は育ち、新和村立小友小学校(後の弘前市立小友小学校)を卒業してから1年ほど家業を手伝った後、他家に奉公に出たが、まもなく病を患い帰宅。自宅で農業に従事する傍ら、桶職人の見習いなどをしていた。

 1951年11月、鉄次の母親が家を出て実家に戻る。彼女は17歳のとき、福三郎と結婚し子供を13人産んだが、夫は若いころから女遊びに夢中で、兵隊から帰って以降は仕事をせず、娘が嫁ぐときにも何の世話もしなかったばかりか、近所の未亡人と関係していたところを妻に目撃されると「おまえを焼き殺してやる」と脅したり、酒に酔っては火箸を持ったり、焼けた木を振り回して叩いたりしたこともあった。

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 妻はあまりの恐ろしさに、着の身着のまま長男や娘(鉄次の姉の1人)を抱いて、近所の家の軒下に筵を敷き朝まで過ごすなど耐えに耐えていたが、子供もみな成人したことで、34年の結婚生活に終止符を打つ決意を固めたようだ。