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「毒殺しよう」
福三郎以外の全員がそれも当然と考えていた。暴力こそ振るわれなかったものの、子供はみな父親を憎悪し、その後、母親が起こした離婚訴訟で、家督を相続した長兄が「鉄次と一緒に父を毒殺しようとしたことがある」と証言したほどだった。
しかし、やがて父側に付いた長兄は家の財産(現在の貨幣価値で約1億円あったと言われる)を独占、次男や三男鉄次を忌み嫌い、家から出ていくよう迫る。
そして事件前年の1952年7月ごろ、次男と鉄次は父と長兄に布団・鍋・米一斗をもらい受けただけで実家を追い出され、以後、鉄次は集落の端にあった民家に間借りし、桶屋として細々と暮らすようになる。生活は日々の食べ物にも困る極貧だった。
ちなみに、次男はほどなく実家に呼び戻されたものの再び追い出され、1953年春ごろには実家裏の家屋に移されていた。また、鉄次の妹も長兄から虐待を受け、1953年秋には母の実家に引き取られたそうだ。