しかしながら、私はそのコメントを送ってきた彼のことをよく覚えていた。以前、私がSNSに自分の写真を投稿した際に「自分の好み」を押し付けるようなコメントを、わざわざ私に通知がくるような形で送ってきていたためだ。
そういった経緯があったので、思わず「アイドルじゃないんで見た目にあれこれ言わんでほしい」と返信してしまった。すると、彼は大きく狼狽したあと、自分の思う通りにいかない、「可愛くない」私に対して敵意をむき出しにし、その日以降、執拗に粘着をしはじめた。
要は「見た目も中身も自分の思う通りの女であってほしいが、そうならないなら認めない」というだけで、自分の理想を赤の他人に押し付けていただけにすぎないのだ。
自分の理想像にそぐわないものを排除したい、という勝手な欲望
このような「自分の考える理想の●●」が暴走し、他人を害してしまう人々は決して少なくない。
例えば、なんらかの社会問題や理不尽について「NO」の声を上げ、戦い続けている人に対して、ただ自分が気に入らない、というだけにもかかわらず「社会運動家としてその態度では誰も理解してくれないし、かえってマイナス効果なのでは?(^^;;」などといった「自分はよくても世間様が許しませんよ」スタンスを装って個人を攻撃し、「痛いところを突いてやった」と溜飲を下げている人々の様子は、非常によく見かける光景だ。
こうした個人攻撃を行なっている人々は、きっと「画面の向こうにいる人」を人だと思っておらず、ストレスのはけ口に最適なおもちゃを見つけた、くらいの認識なのだろう。
「自分の思う通りの●●ではないモノは、なんとしてでも排除したい」という欲求を抱えている人たちが、よってたかって一人の人間をリンチしている光景は非常にグロテスクであり、とても看過できるものではない。
自分の思う「理想の弱者像」
さらに最悪なのは、貧困、虐待、DVや人権侵害を受けている人など、なんらかの支援が必要な人々に向けても、こうした「理想の弱者像」が押し付けられている現実である。
最近、路上生活者や生活困窮者に向けて配られる食事や炊き出しの内容が「豪華」であることにたくさんの非難が集まった、という話を、現場で貧困支援に携わっている知人から聞いた。貧困問題に取り組んでいる私自身も一度、インタビューで「生活困窮者に配られるお弁当の内容が『贅沢だ』という問題について、どう思いますか」と聞かれたことがあったが、一体、生活困窮者が「贅沢」な食事の支援を受けることの、何が悪いのだろうか。