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 これこそまさに「金に困っている人間がうまい飯を食べているのが気にくわない」「『本当に金に困っている人』は粗食しか食べず、栄養失調に陥っていて、そうでない人間は甘えているだけである」といった、無責任な「理想の弱者像」の押し付けではないか。

 ちなみに、生活保護を受給している人に対して嫌悪感を露わにする人には「自分が払った税金で、働かずにのうのうと生活している人がいるなんて許せない」という意見が多いが、私たちは実は、生活保護受給者から恩恵を受けているところもある。生活保護費の財源の4分の3は国の負担であり、地方自治体が負担するのはわずか4分の1である。しかもこの4分の1は地方交付税でカバーすることが可能である。国から生活保護費を受け取った受給者たちが地域にお金を落とすことで、地域経済を潤している。

「生活保護を受ける人のせいで経済が冷え込む」というのも違っていて、生活保護受給者によって経済が動き、さらに病気や怪我で働けなくなった人が一時的に生活保護制度を利用し、再度働ける(=労働力を増やす)基盤づくりになることをも踏まえれば、長期的に見て、国にとってプラスになる部分が多くあるのだ。

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「本当の弱者」は声をあげられないはず、の弊害

「本当に困っている人は声をあげられない」「図々しく自分の権利を主張する奴らは、自己中心的だ」と言う人たちは、要するに「可愛げのない弱者は認めない」と考えているのであり、今、実際に貧困や格差の下の方にいる人々に、「非暴力・無抵抗」を強要している。これは「そうすれば認めてやってもいい」と言いながら、その足で弱者の頭を踏みつけているのと同義である。

 しかし実際は、当事者は声をあげなくては誰からも助けてもらえず、格差の上層部、権力を持つ人々の都合のいいように搾取され続けてしまう。そして勇気を出して声をあげれば「可愛げがない」とみなされ、今度は言論さえも奪われてしまう。これらの強者による言論弾圧は、貧困問題や女性の権利問題においても共通して起きている現象である。

 最近では、どれだけ時間がかかろうと、実現が自分が死んだあとになったとしても、弱者が「弱者たる振る舞い」を強要される社会を、終わりにしなくてはならないと考え続けている。