冒頭から自分の話で恐縮だが、中高一貫校の非常勤講師となって22年目になる。当初は大学院の博士課程に通いながらの勤務だったのだが、ほどなくして、もう一つの夢であったイラストレーターとしての仕事も入ってくるようになり、結果「二足のワラジ」を履き続けて現在に至っている。
本来、非常勤講師という仕事はあまり長く続けるものでもない。専任教員や研究者の職を得るまでの間に働く若者や、定年後に講師となったベテラン教員が多く、どちらも数年で職場を去っていく。気が付けば勤続22年の私は、講師室内で最も古株となっていた。
自ら選んだ働き方とはいえ、このままでよいのだろうか。年数ばかりは増えてはいるが、専任教員のように研修制度があるわけでもなく、スキルはあまり身についていない。大幅な昇給があるわけでもなく、老後の保障もない(一般企業における、正社員と非正規雇用を考えてもらうとわかりやすいと思う)。日々の仕事に追われている間はまだいいが、ふと立ち止まって考えると、茫漠とした不安に襲われたりもする。
なぜ18年間で一軍86試合出場の白濱が現役を続けていられるのか
そんな時、私の頭に浮かぶのは、カープの捕手・白濱裕太の姿である。今年36歳の白濱は、カープでは長野久義・松山竜平に次いで3番目に年齢が高い(松山とは同学年)。さらにプロ通算18年という年数は、チームでは最長である。球界全体で見てみても、通算18年のプロ在籍というのは現段階で11位、白濱の他には糸井嘉男(阪神)や内海哲也(西武)、先日引退を発表した鳥谷敬(ロッテ)など、名だたる選手ばかりが並んでいる。
「それにしては、カープの白濱という名前は聞いたことがないが……」という他球団ファンもいるだろう。それもそのはずで、白濱が一軍の試合に出場したのは18年間で86試合。白濱はその野球人生の多くを、二軍の本拠地である由宇で過ごしている。推定年俸は650万円。15年以上現役を続けているプロ野球選手の中で、推定年俸が1000万円を下回るのも白濱のみだ。
なぜそのような白濱が現役を続けていられるのか、と思う人もいるかも知れない。競争の激しいプロの世界では、一軍に上がれない状態が2〜3年続けば、戦力外通告を受けることもざらにあるからだ。過去の実績がある選手に関しては猶予が与えられることもあるが、白濱の場合はそういうわけでもない。
白濱のプロ生活のスタートラインは華々しいものであった。春夏4回連続で甲子園に出場し、3年春のセンバツで優勝を果たした広陵高校のメンバーであった白濱は、2003年のドラフト1巡目でカープに指名された。「城島二世」とも呼ばれた強肩巧打の捕手として期待が寄せられたが、一軍出場を果たしたのは入団から8年目。入団時は倉義和・石原慶幸の両捕手がガッチリと扇の要を守っていたし、そのうちに會澤翼が台頭してきて、白濱の出場機会はその後も増えなかったのである。そうなると、白濱が長く現役を続けている理由とはいったい何なのだろうか。