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ファイターズの悔しいシーズンを振り返って思い出した、宮西尚生の涙

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/11/14

「嬉しい」という言葉を辞書で引くと、『物事が自分の望みどおりになって満足であり、喜ばしい。自分にとってよいことが起き、愉快で、楽しい』とあります。逆に、思い通りに行かず、残念で、楽しくないことは「悔しい」という言葉になるわけですね。

「悔しい」シーズンを振り返って

 今年こそはと捲土重来を期待したシーズンでしたが、最後になんとか最下位を逃れることは出来たものの、思い通りには行かずチームは結局3年連続5位。つまり、もうCSの出場を逃すことも3年連続になります。

 あらためて振り返るとやはり「悔しい」シーズンでした。(例のトレード含む)編成上、長打不足はもう仕方ないものとしても、チャンスに仕留めきれない打線、細かい野球が出来ず大味な攻撃。守りのミス、常に接戦となりすぎるあまり、プレッシャーからか土壇場で追いつかれるリリーフ陣……。あと一本、あと一球に泣いた試合も多い、勝ちきれず競り負けるチーム。

 そうやって負けが続くと、惜しいな、悔しいなと思う気持ちも次第にどんどん擦り切れてきてしまうもの。シーズン序盤から最下位を走っていたこともあり、もはや勝ち負けは度外視して、普段見慣れていない新しい選手の出番などに楽しみを見出したりしながら試合を見るようになってしまっていた部分もありました。ここ数年チームに流れていたように見えるマンネリ感。それを変えてくれる目新しさ、新鮮さをつい求めてしまっていたところもあります。

 筆頭というか救世主は伊藤大海でした。そして試合数こそ多くありませんでしたが、五十幡、今川、細川らルーキーたちのプレーも新鮮でしたし、それぞれの選手の才能の片鱗が見られ、将来への期待感も膨らみました。

 3年目の万波は、野村とともに来たるべき新球場での顔としての期待もグっと増したシーズンでした。ツボにハマったときにはぐんぐん伸びる打球、とんでもない鉄砲肩。溌剌としたプレーのほか、打ち損じたときに天を仰いで悔しさを表したりなどの挙動もなんだか初々しくて見てて楽しい選手です。

 悔しがるといえば西武から移籍してきた新顔、佐藤龍世もよく悔しがる姿を見せる選手ですね。打ち損じたとき、ギリギリの打球に追いつけなかったとき彼も天を仰ぎ「あーーー」と顔をしかめて気持ちを表したりして、ちょっと可愛く思えたりして。

 その佐藤、ちょっと面白いなと思ったのは9月22日の対オリックス戦、5回に伊藤大海が安達選手にセンター前を打たれるのですが、ここでも天を仰いで残念がってたんですよね。守備範囲の広い広島の菊池選手でもさすがに無理だろうというヒットだったので、なんだどうした? 単なる悔しがるポーズなのかなと思ったのですが、もしかして打球に追いつかなかったことではなく「伊藤が2アウトから粘られてヒットを打たれたこと」に残念がってたのでしょうか。そう思うと、僕らファンの目線と一緒のような気がしてちょっとほっこりしました。感情が漏れ出しやすいタイプなのでしょうかね。

 万波が天を仰ぎ、佐藤が顔をキュっとしかめる、彼らが漏らすそんな表情に「そうだよな、彼らも悔しいんだよな」と再確認して、無念さを少し慰められていたところがあったかもしれません。ファンは上手く行かないと「悔しくないのか」「やる気ないのか」などと外野から勝手なことを言うものです。選手にやる気がないはずもなく、悔しくないわけもありませんが、それが垣間見えることでほんの少し溜飲を下げることはあるのかも。

 とはいえ、感情をやたらと表に出せば良いというものでもないよね……という思いがあるのも事実。主力選手が、いちいちその場その場で軽く悔しさを出していたら、それはどうなんだろうと思ってしまいます。レギュラーを張っていく選手、主力選手は日々たくさんの悔しさの山を積み重ね、それを乗り越えながら戦っていくもの。ですので、若くてまだ未熟な選手ゆえに可愛げとして感じることなのかもしれません。そうやって軽々しく悔しがっていられるのも今だけだぞ!と何処から目線?で思ってしまうめんどくさいファンの一人です。