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強権企業が島を支配、日本円すら流通せず…ナゾの離島「南大東島」のディープすぎる世界

日本の離島を巡る――南大東島 #1

2021/11/13

genre : ライフ, 歴史, , 政治

嫌われ者アメリカ軍人、島の偉人になる

 在所のふるさと文化センターの外は小さな緑地になっており、島とゆかりが深い米陸軍のポール・W・キャラウェイ中将の像と、彼の業績を顕彰する石碑がある。

キャラウェイ中将の像。沖縄本島では嫌われ者。

 かつて第二次大戦中、沖縄本島は悲惨な地上戦の舞台となり、戦後に沖縄県の領域全体が本土から分離された──。のだが、その過程において南大東島も自動的にアメリカの統治下に編入された。結果、従来は日本政府の地方行政がおよんでいなかった島では、なんと米軍の指揮によって史上初の自治行政が施行されることになり「南大東村」が成立した。

 島の土地は製糖会社が所有し続けていたが、自由への希望を得た島民たちは粘り強い土地所有権の獲得闘争を展開。やがて、当時の軍政府支配の最高指導者だったキャラウェイ米国民政府高等弁務官に直訴するにいたり、南大東島は1964年にようやく会社支配から解き放たれて、「民主化」されることになった。

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南大東島の土地闘争の経緯。ふるさと文化センターにて。

 ちなみに、往年のキャラウェイの琉球統治は非常に強権的だったことで知られている。キャラウェイは米軍人としての立場から琉球と本土との分断の固定化を図り、沖縄県民の自治を否定し本土復帰運動を妨害していた(「キャラウェイ旋風」)ことから、現在でも圧倒的多数の沖縄県民からは蛇蝎のごとく嫌われている。

 ……はずなのだが、大東諸島でのキャラウェイは、会社支配を完全に終結させて土地を与えてくれた「解放者」であり、島民たちの感謝の対象だ。歴史上の人物の評価の難しさを感じさせる話である。

夜は宿が限界

 ──夜、寝苦しくてほとんど眠れなかった。

 島内に宿泊施設は複数あるらしかったが、ネットで予約できる宿は限られていた。いざ泊まってみたところ、在所からかなり離れたサトウキビ畑のなかに立地……していたのはまだしも、薄い壁と室内に入り込む虫に悩まされた。

 コロナ禍の影響で来客が少ないせいか布団が湿気っており、うっかり半袖で横になったせいで全身がかゆい。まったく眠れる気がしない。

「島内での宿は、2000年に秋篠宮殿下が来島された折に宿泊された在所のホテルで一択ですよ」

「そもそも離島に行くときの宿泊や交通の予約は、ネットよりも電話のほうが確実です」

 全身をかきむしって苦しみながら苦境を友人向けのツイッターに投稿していると、離島初心者の私にそんなリプライが寄せられたが、後の祭りだ。

 この夜は結局、2時間くらいしかまともな睡眠を取れなかった。翌日の冒険が思いやられる。

後編に続く

撮影=安田峰俊

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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