眠気を除去し、集中力を高めるという理由で日本軍に重宝された「ヒロポン」の中毒者が、終戦直後の混乱した社会情勢のなか多く生まれたことに端を発した日本の覚醒剤史。これまで決して公に語られてこなかった現在に至るまでの歴史、そして知られざる流通ルートとは。

 ここでは、ノンフィクションライターとして精力的に活動する高木瑞穂氏による『覚醒剤アンダーグラウンド』(彩図社)の一部を抜粋。「シャブをこの国に広めたのは俺だよ」と自称する男、和久井氏の証言を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

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日本が世界最大の覚醒剤マーケット

 未だ第三次覚醒剤禍が続く日本が世界最大の覚醒剤マーケットであることは、間違いない。既に記したように、国内の製造が困難なこと、そして自国の相場より高値で取引されることなどから諸外国から良質なシャブが集まって来る。

 捜査関係者が補足する。

「ただし、アメリカ含め諸外国でも使用者が増えている。貿易なので、密輸団は高く買ってくれる国に売る。それでも結果、日本が一番高い」

 年々、摘発件数は増えているとはいえ、その勢いは未だ衰えてはいない。シャブの相場が劇的に変動していないことからすれば、厳しさを増す捜査機関の網を掻い潜り、密輸団によりどこからか、人知れず我が国の地を踏んでいることになる。

 90年代以降の関東のシャブ市場は、九州の有力組織が卸元になり、野原(編集部注:和久井が関東の三人衆の一人として名前を挙げるヤクザ)の手により拡大したことは既に記した。なぜ多くの組織が覚醒剤を扱っていたにも関わらず、後から割って入った野原のルートが主流になったのか。

 和久井によれば、シナモノが安定供給できたからだ。絶えず供給できる組織でないと市場は取れないのである。和久井が言う。

「他の組織でも当時、単発なら入れられたよ。でもそれじゃあダメ。市場を牛耳り相場を決められないからね」

 なぜ安定供給できたのか。

「製造から密輸、販売までワンストップでできるからだ。実際、九州の有力組織はタイに自前の製造工場を持っている。他のフィリピンルート、北朝鮮、中国、ロシアルートは製造が政府機関と結びついている。ひいては国際情勢により供給が不安定になるからだ。

 密輸の方法は、漁船でタイから出港し、フィリピンで寄港、台湾で寄港、石垣島で寄港、そして沖縄本島で降ろす。このルートはまだ壊滅的な打撃は受けてない。いまも細々とだが続いている。

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 また、なぜ迂回するかといえば、漁船のため燃料の問題があるからだ。大型客船なんかで運んだら一発でバレちゃう。積荷を検査されたら一巻の終わりだ。だから海産物の輸入のように漁船を乗り継いで密輸する。