どこまでを「実録」と呼べるのか問題
真魚 『ウルフ〜』にせよ『バリー・シール』にせよ、あれだけドラマティックに見せられると、時々実録ものであることを忘れてしまいます(笑)。
宇多丸 実録映画の面白さって、史実の解釈の範囲の広さにもあると思うんです。例えば、原作となったノンフィクションと比べた時に、どの程度、映画的な演出が加えられているのか、そのさじ加減を見る楽しみがある。
例えば、在イラン・アメリカ大使館人質事件を題材にしたベン・アフレック監督・主演の『アルゴ』(2012年)なんかは、すっごく面白いんだけど、元になったノンフィクションと比べると、「お前、さすがに盛りすぎだろ!」とツッコミを入れずにはいられません。
真魚 結構違うんですよね(笑)。
宇多丸 “映画的盛り”に、てらいがない。クライマックスで、旅客機が後ろから射撃されながら飛ぶシーンがありますけど、さすがにこれはないだろ……と思いながら原作を読んだら、案の定、そこは盛りに盛っている箇所でした(笑)。
――どこまでを「実録」と呼べるのか問題。
宇多丸 確かに、どこまでが許されるかは難しいあたりです。あと原作を、映画を撮る側が再解釈して、もうちょっとフラットなところに着地させるケースもありますよね。
例えば、アメリカ海軍の特殊部隊ネイビー・シールズ史上最大の悲劇といわれる「レッド・ウィング作戦」を描いた『ローン・サバイバー』(2013年)なんかは、唯一の生存者が書いた原作のノンフィクションを読むと、兵士ですから当然なんですけど、考え方が根っからタカ派的なんですよね。作戦中に現地人を救ったことを原作ではすごく後悔していて「最悪の選択だった、助けずブチ殺すべきだった」とか書いている。でも、映画ではそうした偏った思想面ではなく、人助けの精神自体は間違ってない、というほうが前面に出ています。
映画というユニバーサル言語が、作り手のポリティカルな偏向より優先される
真魚 プロデューサーや監督など、原作者以外の人たちの思想がどのように、どの程度反映されるかで映画は変わってきますしね。
宇多丸 クリント・イーストウッドも、立場的には共和党支持者ですが、かなりリベラル寄りの保守というか、作る映画も思想的にしっかりバランスが取れたものになっている。
真魚 彼の監督した『硫黄島からの手紙』(2006年)も、日本人への目配せがちゃんとされていました。ハリウッドという民主党寄りの業界が、映画のベースを作っているからなのかな。
宇多丸 たぶん、映画というユニバーサル言語の方が、作り手のポリティカルな偏向よりも優先されるのでしょう。それは、良い映画の作り手であるほど顕著です。例えば、メル・ギブソンなんかが典型ですが、本人は大問題人物だけど、作った映画はすごくユニバーサルなものになる。本人より映画の方が立派なんですよ(笑)。