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「200万円で妻を売春宿へ」「覚醒剤を打ちながら博打」

「喧嘩も強くなかったけど、先手必勝。一撃で相手をしとめる。自分より年下の人間も呼び、下仕事はやってもらう。要領が良かったんですかね。200万円で2番目の奥さんを売春宿に売り飛ばす名目で金だけ取って、実際には売り飛ばさなかったり……。悪事という悪事はすべてしたような気がします」

 進藤牧師は頭をかきながらそう明かす。

約8年前の田中被告(上)と進藤牧師

 初めて覚醒剤に手を出したのはヤクザになる直前の17歳の頃だった。手放せなくなり、覚醒剤を打ちながら長時間のチンチロリンや花札といった博打などに興じていたという。

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 しかしほどなくして警察に捕まり、22歳で覚醒剤使用の罪で実刑判決を言い渡された。2年超の懲役を経て仮釈放されると、またも覚醒剤を打ち続ける生活に戻った。売人を主な“シノギ”にして、抗争に明け暮れる中、覚醒剤の譲り渡しの罪で、再び実刑判決を受けて秋田刑務所で服役した。

 秋田刑務所では後に運命を変える「キリスト教」に触れる機会もあったが、そこでの牧師の話は馬の耳に念仏状態だったという。

刑務所はヤクザにとって“社交の場”

「キリストクラブというものがあったのですが、牧師の説教はみんな聞き流していました。それに、ヤクザにとると“社交の場”でしかなかったですね。同じ組の友人とヒソヒソ情報交換をしていました。最初にキリスト教に触れたという意味では、まわりまわってあの牧師の説教が今の俺に繋がっているわけですが」

進藤牧師 ©文藝春秋

 2回目の服役を終えて出所すると27歳。刑務所で出会った兄貴分の組の立ち上げに関わり、組長代行に「出世」した。ヤクザとしての肩書を手にした上、販売ルートは2度の懲役で出会った受刑者を顧客にすることで急拡大。働き盛りの年頃だったこともあり、「仕事」は軌道に乗っていく。