“平成の怪物”、松坂大輔氏(41)が23年間の現役生活にピリオドを打った。1998年に横浜高校で春夏甲子園連覇を達成し、ドラフト1位で翌99年に西武に入団。2006年オフにボストン・レッドソックスに移籍し、07年にはワールドシリーズで日本選手として初勝利を挙げチームを優勝に導くなど、日米通算170勝という華々しい成績を残した。

 一方で、度重なるケガにも悩まされた。2011年にトミー・ジョン手術を受けた右ひじや右肩、さらに2020年7月にも首の痛みと右手のしびれの治療のため頸椎を手術するなど、満身創痍だった。背番号「18」を背負った10月19日の引退試合の最高球速は118km。150km超を記録した“剛腕”の影はなかったが、スタンドの観客、そして日本中のファンから大きな拍手が送られた。引退を迎えた心境を松坂氏が語った。(全3回の1回目/#2#3を読む)

撮影:松本輝一

初めての「まるで音のないマウンド」

――23年間の現役生活お疲れ様でした。引退試合で投げた最速118kmの5球には、1999年に155kmの直球で鮮烈デビューを果たして以降の松坂さんの歴史が凝縮されているようで、感慨深いものがありました。

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松坂 本当は投げたくなかったんですよね。投げられるかどうかも分からないし、冗談で引退試合はバッターボックスに立とうかななんて言っていました。でも今は、現在の姿をさらけ出せてよかったな、と思いますね。どんなに頑張ってもマックス118kmだったし、そもそもストライクが入らない。しかもたった5球しか投げていないのに、翌朝は腕も肩も背中も強張って、起き上がれない状態でしたから(笑)。こんな状態だから引退したんだよな、とスッキリしましたね。

2021年10月19日、引退試合となる日本ハム戦に先発した松坂 撮影:杉山秀樹

――それにしても感動的な引退試合でした。観客は呼吸をするのも忘れたかのように松坂さんの一球一球を凝視していました。

松坂 これまで日米合わせ377試合に登板しましたけど、まるで音のないマウンドは初めてでした。去年のオープン戦で登板したときも無観客でしたけど、ベンチなどからの話し声や何らかの音があった。でも、引退試合は真空管の中に入っているような感じだった。だから文化放送のライオンズナイターの中継アナウンサーの声が大音響のように届いたんですよ(笑)。

引退試合は背番号「18」で臨んだ 撮影:杉山秀樹

――観客約1万人の思いが一つになっている感じがしました。

松坂 それは僕も感じて感動しましたね。一番やばかったのは、ウォームアップでグラウンドに出たとき。球場の皆さんが大きな拍手を送ってくれたんです。途端に鼻の奥がツーンとなった。そもそも前日からちょっと湿っぽくなっていたので、拍手で迎えられた時は、壊れそうな涙腺を堪えるのが結構大変だった。歳のせいですかねえ、最近涙もろくなってしまって……(笑)。

 だからマウンドに立つ時が一番心配だったんです。涙で捕手のミットが見えなくなったらどうしようって。でも、全然大丈夫でした。マウンドに立った途端、ストライクを取ることしか頭になかったですから。