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2021/11/02

「最後はユニフォームでマウンドに立つ松坂が見たい」という声に押されて

――そもそもなぜ引退試合を10月19日に決めたんですか。引退を発表された7月7日から3か月以上経っています。

松坂 夏ぐらいから引退試合の話は球団から打診されていましたが、とても投げられる状態ではなかったし、その頃まだチームがポストシーズンに行ける可能性もあったので、そんな際どい試合をやっている最中に僕の引退試合なんてとんでもないと、固辞していました。

 でも球団の人たちが「最後はやっぱりユニフォーム姿で投げているところを見たい」と言ってくれ、友人知人からもそんな声がたくさん届いていたので。具体的に引退試合のセレモニーについて話し合い始めたのは僕の誕生日(9月13日)あたりから。ホームでの最終戦にはシーズン終わりのセレモニーがあるので、前日の10月19日にしようと。

引退試合の胴上げには、日本ハムの選手も加わった 撮影:杉山秀樹

 僕はそれまでの半年ほど、身体の状態を確認するためキャッチボールをほんの数回しただけで、ほとんどボールに触っていなかった。そのため、ボールを投げることの難しさを認識していたし、試合で投げることには恐怖心しかありませんでした。

 そして本来、プロ選手である以上、満足にボールを投げられない姿でマウンドに上がってはいけないと思っていたんです。でも「最後はユニフォーム姿でマウンドに立つ松坂が見たい」という声に後押しされましたね。

――現役のころ、自分の引退についてどのようなイメージを持っていたんですか。

松坂 最初に思い描いていた終わり方ではないですね。ヤンキースのピッチャーだったマイク・ムッシーナが、08年に20勝を挙げ「もうこれ以上はない」と言って引退したんです。ソフトバンクホークスの王貞治会長も、その年に30本のホームランを打っているにもかかわらず「もう王貞治としての仕事ができなくなりました」とバットを置いた。

 ムッシーナや王さんの引退の仕方がめちゃくちゃカッコいいと思っていました。僕もそのような引き際にしたいと思い描いていたんですけど、途中から変わりましたね、ボロボロになっても投げ続けたいって(笑)。

 でも今は、本当にいい終わり方をしたなって思いますね。後で映像を見ても感動しますし、10.19という数字は僕の人生に一生刻まれると思います。

撮影:杉山秀樹

終わった後、上地雄輔さんを相手にピッチング

――引退セレモニーがすべて終わった後、室内練習場で横浜高校先輩の上地雄輔さんを相手にピッチングをしました。

松坂 上地さんとは高校時代にバッテリーを組んでいましたから、現役であるうちにもう一度僕の球を受けてもらいたいと考えていたんです。上地さんには高校時代だけでなく、僕がケガで苦しんでいる間も本当にお世話になって…。話し相手になってくれたり、アドバイスをいただいたり、心身共に助けてもらいました。

撮影:松本輝一

 上地さんはピッチャーを乗せるのが上手いので、気持ちよく投げられたし、高校時代に戻ったようで本当に楽しいひと時でした。傍から見たら、いいおっさんたちが無邪気だね~、なんて言われそうですけど。

#2に続く)

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