昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「じゃあ、誰がいいんですか」 コーチ退任に協会は…中田久美前監督が初めて語った女子バレー“五輪の敗因”

「現場に専念させてほしかった」 中田久美独占インタビュー #1

2021/10/23

 “初の五輪女性監督”として中田久美氏(56)が指揮を執り、東京五輪を戦ったバレーボール女子日本代表。だが、結果は25年ぶりの予選ラウンド敗退。1勝4敗で全12チーム中、10位に終わった。中田氏は8月末日で監督を退任し、「不本意な結果となったことを大変申し訳なく思っています」とコメント。後任は2012年のロンドン五輪で日本を銅メダルに導いた真鍋政義氏(58)が復帰する。

 日本の女子バレーは1964年の東京五輪で金メダルを獲得。「東洋の魔女」と呼ばれ、世界を驚かせた。中田氏は2017年の監督就任以来、その黄金時代再来を目指し、「伝説に残るチームを作る」と繰り返し語ってきた。

 夢叶わずに終わった東京五輪。中田氏はその結果をどのように受け止めているのか。ドミニカ共和国との最終戦に敗れて以降、表舞台から姿を消していた中田氏が、現在の心境と当時の苦悩を初めて告白した。(全3回の1回目/#2#3へ続く)

東京五輪後、初めて胸中を明かす中田久美前女子バレー日本代表監督 ©文藝春秋

◆ ◆ ◆

五輪後は動悸で立っていられない日々が続いた

――東京五輪が終わり2か月以上が経ちました。どのように過ごされていましたか。

中田 心身が摩耗してしまったせいか、五輪終了直後に体調を崩し、検査と静養を繰り返していました。最近は少しずつ落ち着いて生活できる日も多くなってきていますが、直後は突然動悸が激しくなり立っていられない症状が続き、人と会うことや話すことも厳しい状態でした。

――東京五輪では、コートサイドにいる中田さんが無表情に見えました。

中田 振り返ってみると、2021シーズンスタート当初から通常の自分と、戦う自分を切り離していたかもしれません。それは熱量の違いとも冷めている感覚とも違うのですが、試合に集中していながらも、勝ち負けの中でチームが様々なことに反応し形が変化する中で、常にチームにとって何がベストなのか環境面なども含め俯瞰的に捉える必要がありました。オリンピックでのメダル獲得の難しさを知っているだけに、目の前のことに一喜一憂せず「腹を据える」と決めていましたから。

古賀紗理那が怪我をした瞬間には

中田 それが無表情に見えたとしたら、普通に戦うことが難しい東京五輪を、選手達には冷静に戦わせたかったからだと思います。ですから初戦のケニア戦で古賀(紗理那)選手(25)が怪我をした瞬間も、あるいは勝った試合も負けた試合後もいつもと変わらないよう徹していました。

初戦のケニア戦で負傷し、コート外へ運ばれる古賀紗理那選手 ©︎Getty Images

 ただ、自分を分離してしまったその反動は想像していた以上に大きかった。切り離した自分をもとに戻す怖さというか、二人の自分がかなり離れた位置に立っていた感覚だったせいか、回復するのにこんなに時間がかかるとは自分でも想定していませんでした。