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「この5年間、1分、1秒でも手を抜くことはなかった」

――それは母国開催である東京五輪の重圧から来たものでしょうか。

中田 五輪に3大会出場の経験はありますが、1964年の東京五輪時にはまだ世に存在していませんから、当時の女子バレーの注目度や経済効果などは、映像や大松監督の書籍などで想像しつつ、自身の経験の中で準備するしかなかったです。

 2017年の就任以来、メダル獲得に向けて細かな点を打ち続けながら絵を描く作業を繰り返してきました。チームの強化を図り、頭の中の半分はリスクマネージメントを考慮しつつも、現状を変革するくらいの覚悟を持って日本バレーボール協会にも協力を求めました。

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 なぜなら、東京五輪はスポーツ界全体の分岐点になると思っていたからです。この状況で代表監督を引き受けることは、私の中で相当な覚悟と責任を背負わなければならないと思いました。バレー界の分岐点でもある東京五輪の監督に、強化委員会全員一致で推していただき、その役割を任せて頂いたと認識しましたし、それが自分の宿命なんだと。ですから、東京五輪でメダルを獲るためにこの5年間、1分、1秒でも手を抜くことはなかったです。

東京五輪、指示を飛ばす中田久美前監督 ©JMPA

――それは傍から見ていてもよく分かりました。夕方になると、ご飯を噛むのも面倒になるとおっしゃっていたこともあります。

中田 練習後、その日の練習の内容を分析したり、選手の動きに気になることがないか振り返りながらチェックしていると、夕食を摂るのもつい億劫になってしまうんです。それに練習時の映像を何度もスローにしながら見返すことで、練習中に見えなかった疑問や問題点など、私の中で絡まった糸が解ける瞬間があるんです。その原因がまったく違うところの問題と繋がっていたり、それが数週間前から始まっていたことに気付いたこともありましたね。