“初の五輪女性監督”として中田久美氏(56)が指揮を執り、東京五輪を戦ったバレーボール女子日本代表。だが、結果は25年ぶりの予選ラウンド敗退。1勝4敗で全12チーム中、10位に終わった。中田氏は8月末日で監督を退任し、「不本意な結果となったことを大変申し訳なく思っています」とコメント。後任は2012年のロンドン五輪で日本を銅メダルに導いた真鍋政義氏(58)が復帰する。
日本の女子バレーは1964年の東京五輪で金メダルを獲得。「東洋の魔女」と呼ばれ、世界を驚かせた。中田氏は2017年の監督就任以来、その黄金時代再来を目指し、「伝説に残るチームを作る」と繰り返し語ってきた。
夢叶わずに終わった東京五輪。中田氏はその結果をどのように受け止めているのか。ドミニカ共和国との最終戦に敗れて以降、表舞台から姿を消していた中田氏が、現在の心境と当時の苦悩を初めて告白した。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
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「セッター問題には頭を痛めてきました」
――それにしても、国際大会の経験のない籾井選手を、いきなり正セッターに据えたことに驚きました。
中田 この4年間、セッター問題には頭を痛めてきましたからね。初年度は冨永(岩崎)こよみ選手(32)、2年目は田代佳奈美選手(30)、そして3年目から佐藤美弥選手(31)を抜てきし、これで固められるかなと思った矢先に佐藤選手がケガをしてしまった。セッターは、日本のコンビバレーや攻撃のバリエーションを追求するうえで最も要になるポジション。極端な言い方をすれば、セッターの能力次第で勝敗が決まってしまう場合もあります。
リオ五輪に出場した宮下遥選手(27)も代表の合宿には度々呼んでいました。彼女のレシーブ力は日本のトップクラス。また独特な世界観があって凄く面白いし、セッターというポジションについても深く考えている。私と同じ十代半ばで日本代表入りしていますし、五輪経験もあるので当然戦力として考えていましたが、アタッカー陣のタイミングと彼女のトスがマッチしなかった。
そんな状況の中に、彗星のごとく現れたのが籾井選手でした。初代表にも関わらず、セッターに必要な強気な性格はもちろん、ミドルやバックアタックを使った速い攻撃ができるバリエーションの広さに目を見張りました。そしてトスの間(ま)を手首や指先で微妙に調整し、アタッカーが打ちやすいトスを上げるハンドリングの上手さは、先天的なセンスです。教えて身につく技術ではありません。
国際試合デビュー戦で見せた「かなりの強心臓」
――19年末までペルー国籍だったため、ジュニアでも代表経験のない籾井を、世界一の中国と戦った5月の東京チャレンジマッチでデビューさせた。
中田 3-0で負けたとはいえ、籾井選手は国際試合デビュー戦をビビることなく堂々と戦っていました。かなりの強心臓です。ただ彼女に一番足りないのは経験。セッターは経験を積むことによって技術が磨かれる。だから籾井選手には多くの国際大会を積ませたいと考えました。ただ強心臓の選手じゃないとこういう荒業はできない。プレッシャーでつぶれてしまいますから。