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日常生活でも痛みを感じていた第2回WBCの頃

――でもWBCではキューバやアメリカに投げ勝ち、第1回WBCに続いてMVPを受賞する活躍でしたよね。

松坂 日の丸を背負っていたのでアドレナリンが出ていたんでしょうね。でも実際は、走る時に腕振っても痛いし、日常生活でも痛みを感じるようになっていました。

 だからこれ以降はきつくなるな、大変になるなということは自覚していましたね。

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 それからは登板の時は痛み止め注射を打ってからマウンドに上がるようになった。それでも痛かったけど。

撮影:松本輝一

 本当は投げられる状態じゃないのに、注射することで痛みを和らげて登板を続けていたから、結果的に体には相当負担をかけることになってしまいました。

 ただ、投げることで身体に負担をかけてしまうと考えると、前に進めなくなるので、僕は止まりたくなかったから無理してでも投げ続けるしかなかったんです。

 でも正直、痛みとの戦いがこんなに続くとは思っていなかった。どこかで改善できるって信じていたんです。

肘のトミー・ジョン手術

――レッドソックス5年目の11年には右肘のトミー・ジョン手術を受けています。

松坂 肩をかばって投げ続けたので、結果的に右肘を痛めてしまった。手術は成功し1年後には復帰できたんですけど、痛みは残ったまま。手術を受けたからってすぐに痛みは消えるもんじゃないと言われていたけど、肘を庇って今度は肩を痛め、次は肩を庇って肘を痛めるという、その繰り返し。いわゆる負の連鎖ですよね。

――ソフトバンク時代には遂に肩にメスを入れました。

松坂 肩にメスを入れるのは凄く抵抗がありました。実は以前から肩の手術を勧められていたんですけど、その前にトレーニングやケアでやれることはやってみようと思い、懸命に治療をやってみたんだけど、結局効果はなく、手術を受けないとマウンドに戻れないというところまで来たので、手術に踏み切りました。

「腱板クリーニング」「ベネット骨棘切除」「後方関節包解離」など4か所の複合手術で難しかったみたいですが成功。肩は動くようになりましたけど、やっぱりメスを入れているので、肩の機能が戻ってくるまでには時間がかかりましたね。

撮影:松本輝一

――その後ドラゴンズに移籍しました。6勝しカムバック賞を受賞しましたが、肩の痛みは和らいでいたんですか。

松坂 いや、まだ痛みはありましたね。17年にソフトバンクをクビになった時点でまだ投げられそうになかったので、実は1年休んで治療とトレーニングに時間をかけ、投げられるようになってから、どこか球団のテストを受けようと考えていたんです。

 でも終盤に、紹介してもらった先生の所に行って何とか投げられるようになり、声をかけていただいたドラゴンズのテストを受け、入団しました。痛みはあったものの、ドラゴンズで6勝を挙げることができたので、これをきっかけにもっと投げられるようになればいいなと願っていましたね。