20年、古巣のライオンズに入団したものの……
――でもまた春のキャンプで肩を痛めた。
松坂 結局体の不調が消えず、19年に自由契約になり、20年から古巣のライオンズに入団しました。でも、その頃から首周辺の痛みがきつくなり、右手が痺れ出して眠れなくなってしまったんです。眠たいのに眠れない、投げたいのに先が見えない…この頃は身体的にもメンタル的にも本当にきつかったですね。
それで7月に頸椎周辺の手術を受けることにしたんです。ただ、この時受けた手術は最短で戻るための術式だったので、本来やるべき手術ではなかった。本来やらなければならない手術を受けると、復帰するには1年半か2年半かかると言われ、そもそも日常生活を送るための手術で競技に戻るのは難しいと。
執刀する先生も嫌だったと思います。
――それほど難しい手術だったんですか?
松坂 いや、僕だからです。復帰できなければ下手すると「手術が失敗した」と言われかねないじゃないですか。僕は治療やリハビリで色んな病院に行きましたけど、どこの医師も「●●先生、よく手術引き受けてくれたね」と言われましたから。執刀してくれた先生には「登板させてやれず申し訳なかった」と言われましたけど、僕は感謝しかないです。むしろ、執刀して最善を尽くしていただいたのにマウンドに戻れず申し訳ない、という気持ちの方が強いですね。
13年間ずっとケガと戦ってきたせいか、病院や治療法、ケガの対処の仕方、身体の構造などに結構詳しくなりました。だから後輩たちからケガや治療の相談を受けたら、色々な方法をアドバイスしてあげられると思います。
結局、野球が何より好きだった
――それにしても、痛みの中で13年間も諦めずに挑戦してきた強さはどこから来るものですか。
松坂 痛みやケガはいつか必ず治るものと信じていましたからね。一日でも早くマインドに戻りたい、1イニングでも多く投げたい、一球でも多く腕を振りたい、1kmでも速いボールを投げたい、そして試合で勝ちたい…その思いだけでしたね。結局、野球が何より好きでマウンドから離れたくなかったということでしょうね。
――23年間の現役生活の中で、もし自分にアドバイスしてあげられるとしたらいつ、どんな言葉を掛けますか。
松坂 間違いなく08年のオークランドにいる自分に、「通路滑るから気を付けろよ」って声を大にして言いますね。
――引退後はどんな活動をしていく予定ですか。
松坂 まずは、家族と一緒に過ごして今までできなかったことを妻や子供たちとやりたいですね。それから球界やスポーツ界への恩返しをどんな形で行うか、じっくり考えてみたいと思います。
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