『琥珀の夢』上・下(伊集院静 著)――著者は語る

『琥珀の夢』上(伊集院静 著)

 サントリーの前身である寿屋を創業した鳥井信治郎(一八七九~一九六二)。「やってみなはれ」の挑戦心で、同社を日本を代表する企業に育てた経営者だ。その信治郎の生涯を伊集院静氏が描いた本作は、新聞連載時から話題を呼んだ。

「信治郎を書こうと思ったのは東日本大震災がきっかけです。震災直後、サントリーが被災三県に人知れず多額の寄付をしていたと聞き、当時『某が数十億円寄付』といった行為が美談として報じられることに違和感を抱いていた私は、いたく感動しました。さらにそれが同社に根付く『陰徳』の精神に拠るものだとわかり、信治郎に興味を持ったのです」

 作中では、大阪・船場の両替商の家に生まれ、薬問屋で丁稚奉公をする若き信治郎の姿や、当時の商都・大阪の活気ある様子が見事に描き出されている。

ADVERTISEMENT

「丁稚の時代に紙幅を費やしました。信治郎は若い時の経験が後々生かされた典型ですね。彼を直接知る八十代の元社員にも取材をしましたが、同社最後の丁稚だった方によると『“大将”はとにかく落ち着きがなかった』と(笑)。阪急を創設した小林一三も『(信治郎と)座って話をした記憶がない』と日記に残していますが、忙しい人だったんですね」

伊集院静氏

 伊集院氏は、この作品を単なる企業小説にしたくはなかったという。

「作中に売上や利益といった数字を入れませんでした。人間の価値は金の多寡では決まらないというのが私の信念です。また、信治郎自身も売上高より『毎日何人が飲んでいる』といった実感に基づいた報告を重視していました」

 そして信治郎を「明治期に西洋文化を取り入れて成功した人物」や「ウイスキーやワインを広めた功労者」としてではなく、「古来から日本で尊ばれてきた品格の持ち主」として描いている。その生涯を通して伝えたかったのは、日本人とは何か、という問いへの答えだ。

「陰徳という精神は日本人特有のものです。困った時に助け合う――それを使命というより、自らの成功は偶然だという前提に立ち、自分にできることを地道にやっていく。この真の平等主義を日本人は品格としてきました。信治郎は丁稚という、ある意味で理不尽な制度の中で、近江商人や大阪商人の、売り手良し、買い手良し、世間良しという“三方よし”の精神を身体で覚えた。その経験があったからこそ、寄付や文化への支援を怠らず、かつそれを誇示しない日本的経営者になりえたのだと思います」

琥珀の夢 上 小説 鳥井信治郎

伊集院 静(著)

集英社
2017年10月5日 発売

購入する

琥珀の夢 下 小説 鳥井信治郎

伊集院 静(著)

集英社
2017年10月5日 発売

購入する