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「おかえりモネ」が描き続けた“生きづらさ”の正体…《手をつなぐラストシーン》に込められた深い意味

2021/11/03
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「おかえりモネ」は東日本大震災から10年後に放送されるドラマとして、宮城県を舞台に企画されたものだった。それを粛々と作って放送していたら、上質なドラマだったという評価で完結したであろう。

 だが制作時、「コロナ禍」が起こったことが「おかえりモネ」を忘れがたい特異なドラマに変えた。現実がドラマを変えていく。現実とドラマの切り離せない関係をまざまざと見せつけられるようだった。もちろんこんな災害はあってほしくないのだが。

2年半ぶりの再会で交わした“言葉”

「モネ」では震災当日のことを描きながらも、登場人物たちが会話するときはややぼかしている。また「コロナ」もその単語は出さず「感染症」とだけ言われる。

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 最終週、2020年1月中旬、菅波がせっかく百音の実家に挨拶に来たにもかかわらず、すぐに東京に戻るように職場から言われた理由が「感染症」に関することだった。百音と別れ際、菅波の歩く姿が意味ありげなスローモーションになって視聴者をざわつかせた。

 時は過ぎ、2022年。2年半ぶりに菅波が百音の前に現れる。「太陽久しぶりだ」とこの2年半がとても大変だったことを感じさせるセリフもあって、百音が菅波の身体に触れていいか躊躇する描写もあれば、視聴者は自ずと「コロナ」を思い浮かべる。百音が菅波に語りかける「本当にご苦労さま」は医療従事者へのねぎらいの言葉にも聞こえた。

ヒロインの永浦百音を演じた清原果耶 ©AFLO

「私たちには距離も時間も関係ない」と菅波との堅固な関係性に対する自信を見せる百音。ふたりは手をつなぎ歩き出す。百音と菅波がまるで名作「君の名は」(「。」のつくアニメではなく、昭和のメロドラマのほう)のように、主人公と想い人がすれ違い続けてなかなか結ばれない恋物語のオマージュかのよう。登米と東京、東京と気仙沼と遠距離交際を続けてきたふたりの姿が、コロナ禍があったことで一層、リアリティをもって視聴者にも強烈に響いてしまうという偶然の妙。

 繰り返すが、災害なんてあってほしくない。けれど、コロナ以前は物語のある種のクリシェになりつつあった“手をつなぐラストシーン”が、ここで改めて普遍性を帯びたとも言えそうだ。いったいいつから作り手はこのラストを考えていたのだろうか。

クランクインは20年9月だった

「おかえりモネ」のクランクインは20年の9月。緊急事態宣言は解除されながらも国民は感染予防につとめていた時期である。朝ドラではたいてい、クランクインに合わせマスコミを撮影地に呼び込んで取材会を行うが、「モネ」では地元のメディアを優先して行っていた。

 この頃、台本は最終回までは完成していないはずだが、すでに構想はあったかもしれない。最終回放送直前に筆者が制作統括の吉永証チーフプロデューサーに書面による取材を行ったところ、「東日本大震災についてのドラマに取り組んでいたところにコロナ禍が起こったとき、吉永さんは何を感じましたか。そしてこんな時、どんなドラマを作るべきだと考えましたか」という質問にこのように回答してくれた。