昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「母親なのにおっぱい出しすぎ」「お尻を強調しすぎ」…1児の母・紅蘭(32)がそれでも“自分を曲げない”と決めたワケ

紅蘭さんインタビュー #2

2021/11/13

 俳優・草刈正雄さんの二世タレントとして2013年に登場。陽気なキャラクターで人気を集めた紅蘭さんだが、実はその“キャラ”は、メディアによって作られた部分も大きかったと言う。

 自分らしくあり続けながら、母親業やビジネスに全力投球する方法について書いた『#母であり私である〜子育ての最強幸福論』(KADOKAWA)を上梓した紅蘭さんに、芸能界と距離を置いた今だから感じる、テレビや世間に対して覚える「違和感」を聞いた。(前後編の後編/前編から読む)

紅蘭さん

◆ ◆ ◆

旅行中に火事を撮影したら、なぜか「身バレ」してしまい…

――紅蘭さんはそもそもタレントになるつもりはなかったんですよね。

紅蘭 私はずっとダンスをしていて、小さな事務所にダンサーとして所属していました。

 そんな時、バックパッカーとして行っていたアフリカのサファリで大火事に遭遇して、その模様をブログにアップしたんです。そうしたら世界的にも大きな火事だったらしく、私のブログが注目されてしまって。で、なぜか「これは草刈正雄の娘だ!」とネットで身バレしてしまったんです。

――サファリの火事が芸能界入りのきっかけに?

紅蘭 アフリカにいる間から番組オファーが来ていたみたいです。帰国直後にバックパックを背負ったまま事務所に行って、日本で自分が今どういう状況になっているかを聞いて仰天した、という感じです。

――芸能界からのオファーについてはどう受け止めたのでしょうか。

紅蘭 また「パパの娘」として扱われる世界で生きることに抵抗がありましたね。

 

 小さい頃から「紅蘭ちゃん」でなく、「草刈正雄さんの娘さん」と呼ばれて育ちました。ダンサーになるためにアメリカに留学し、やっとそこで父の呪縛から離れて、自分自身を評価してもらえている実感を持てたんです。だからその後も父の名前がついてまわるのは嫌だったので、名字は伏せて活動していました。

 それに、子どもの頃は、自分の顔がちゃんと写っている写真がほとんどないくらい、人前に出るのが苦手で。

自分だけ、父にも母にも似ていない

――テレビでのご活躍を見ていると、とてもそうは見えなかったです。

紅蘭 弟や妹は前に出るタイプでしたけど、私は小さい時に父の舞台で黒子のお手伝いをしていました。それで早着替えの衣装を渡したりとか。今でも「黒子」って使いますか?

――言います言います。裏方志向だったんですね。

紅蘭 そうですね。私はずっとコンプレックスだったんです、自分の顔が。弟は父にそっくりで、妹は父と母のミックス。でも私だけ父にも母にも、どちらにも似ていなくて。

 

――しかし周りからは「草刈正雄の娘さん」として常に人目にさらされますよね。

紅蘭 だいたい「お父さんは昔めちゃくちゃかっこよかったんだよ」という言葉の後、「紅蘭ちゃんはお父さんに似てないね」って言われるんです。でもその順序で言われたら、「遠回しに私のことブスって言ってる?」と思うじゃないですか(笑)。「似てないね」だけならまだしも……。