『倭国 古代国家への道』(古市晃 著)講談社現代新書

 戦前は神に祖先をもつとされ、「万世一系」といわれる天皇家の“万世”はいつから始まったのか。誰が最初に王権を成立させ、どのように支配を進めていったのか。『倭国 古代国家への道』の著者・古市晃さんは、神戸大学で教鞭をとる日本史学の教授だ。本書では、文献資料をもとに、日本がいかに形成されたのかを丁寧に解説している。

「『古事記』『日本書紀』(記紀)では、初代神武天皇以来、天皇は一度も途絶えることのない血縁関係によって結ばれていることが強調されています。しかし、記紀の伝承を丁寧に読み込み、中国・南朝の宋の歴史書『宋書』の記述と比較すると、5世紀代の“倭王”には複数の系統があり、王族同士が激しく対立していたことが分かります。具体的には、第16代仁徳天皇、17代履中天皇に続く仁徳系と、第19代允恭天皇から始まる允恭系には血縁関係が存在しなかった可能性が高い。さらに、そのどちらもが男系としては途絶えています。万世一系と呼んでもよい統一された王統が現れるのは、6世紀の継体天皇以降です」

 さらに、記紀の記述からは、彼ら王族とは別に王を名乗る“周縁”王族が存在し、朝鮮半島との交易を武器に大きな力をもった“海人集団”と密接な関係を築いていたことが分かるという。周縁王族と海人集団は倭王に対して支配・従属関係にありながら時に対立する、複雑な間柄であった。

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「当時、鉄や高価な織物は朝鮮半島からの輸入に頼っていました。特に、農耕器具や武器には欠かせない鉄をいかに手にするかは、当時の人々にとって大きな関心事だったでしょう。そのため、外洋航海技術をもつ海人集団などの人々が権力を握ることが出来た。彼らと結びついた豪族の中には、“ホムチワケ王”など、自ら王を名乗るものも現れました。5世紀の王権はまだ不安定で、支配関係も流動的だったため、彼らのような王族と豪族の境界に位置する曖昧な存在があり得たのでしょう」

 倭王権による“支配”を語るとき、6世紀前半から後半にかけての欽明天皇の頃にできた部民制、国造制などの支配制度を以て説明されることが多い。しかし、5世紀にも制度以前の支配があったはずだ、と古市さんは語る。

「今回の本では、制度化される以前の統治体制として、王宮について検討しました。王宮は王族、そこに仕える人、物資や武器が集まる結節点になります。例えば、大和の長谷(はつせ/現在の奈良県桜井市)の王宮には、王宮に仕える人々がハツセ部という名で列島の各地から集められ、日々の業務を負担していました。長谷の王宮を拠点とする王族たちは、各地の人々をハツセ部として編成し、租税も含めさまざまな負担を課すことで支配を進めていったと考えています」

 王の支配体制を検討するためには、当時の人々の生活を考えることが欠かせない。現存する文献資料が限られる古代史研究の中で、人々の生活をいかに読み解くかを本書は教えてくれる。

古市晃さん

「記紀や風土記の中には、この日本列島の中で生きていた人々の伝承が残されています。もちろんフィクションも多いのですが、例えば彼らがいかなる神を信仰していたかを読み解くことによって、当時の生活の一端を見ることができる。書かれたテキストをすべて嘘だと言ってしまうのではなく、虚実をできる限り明らかにしていくことが必要だと思っています」

 同じ日本列島で生きた、古代人たちの息吹を感じることのできる一冊だ。

ふるいちあきら/1970年生まれ。岡山大学文学部卒業。大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程退学。現在は神戸大学大学院人文学研究科教授。著書に『日本古代王権の支配論理』『国家形成期の王宮と地域社会』などがある。