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2021/11/08

「春日部は、単なるベッドタウンの町ではないのだ」

 粕壁宿のあった旧日光街道沿いは、すなわち近世以来の春日部の中心ということになる。さすがに江戸時代からの街並みが今も残っているようなことはほとんどないが、昭和っぽさを残した商店が並んでいるなどしている。それは街道沿いばかりではなく、春日部駅東口は宿場町をルーツに持つ古い町ということがよく伝わってくる。春日部は、単なるベッドタウンの町ではないのだ。

 ただし、明治18年に通った現在のJR宇都宮線(東北本線)は日光街道ではなく中山道沿いを通ったために、春日部は鉄道の恩恵にあずかるのが少し遅くなってしまった。そこで1893年に千住~粕壁間に馬車鉄道が開業し、1日4往復走って粕壁と東京の交通の便を確保している。東武鉄道の春日部駅が開業したのは1899年のことで(開業当時は粕壁駅)、入れ替わるようにして馬車鉄道は廃止されている。

 

 ちなみに、春日部の伝統産業には桐箪笥や押絵羽子板などがある。日光東照宮の造営に携わった工匠たちが帰路に粕壁宿に住み着いたのが桐箪笥などの産業の興りで、あの大塚家具も桐箪笥をルーツに春日部で誕生した。いまは旧街道沿いの西武百貨店跡に大塚家具創業者・大塚勝久氏による匠大塚の春日部本店が入っている。

 

 もうひとつ、麦わら帽子も春日部の名物で、地元生産の大麦を使って農家が内職として生産したのがはじまり。国産麦わら帽子の二大産地のひとつになっている(もうひとつは岡山)。僕のあの帽子、どうしたんでせうね。

20年で5倍になった人口

 ともあれ、春日部が古い宿場町にルーツを持つといっても、いまの春日部はベッドタウンとしての存在感が大きい。人口の推移を見ても、まだまだ宿場町色が強かった昭和30年代、1960年には3万3517人に過ぎなかった。それが昭和40年代以降急激に増えはじめ、1980年には15万5555人にまで達し、平成に入ると20万人を突破する。これはまさにベッドタウンとして発展したということの裏返しである。
※人口は平成の大合併以前の春日部市の人口をもとに計算

1947年の「春日部」周辺(国土地理院の空中写真より)
1988年の「春日部」周辺(国土地理院の空中写真より)

 古い航空写真を見てみると、この人口急増に合わせて春日部駅の南側、つまり西口が大きく変貌していることがわかる。なのでひとまずこちらも西口に向かわねばならぬ。

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