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500匹以上の動物と40人のスタッフ

――36歳だった1971年に北海道の嶮暮帰島へ移住、次の1972年には浜中町に「ムツゴロウ動物王国」ができています。

ムツゴロウ 無人島で人間がいないところで生活しつつ、浜中町の土地を借りて道産馬などの日本古来の馬の繁殖をしようというのが当初の計画でした。それがいつのまにか犬や猫、牛や馬に鶏などの動物がどんどん増えていって、気づけば500匹以上の動物と、世話をする40人のスタッフという大所帯の奇妙な共同生活が始まりました。

自宅の壁に飾られた絵や賞状たち

――生活資金は大丈夫だったのでしょうか。

ムツゴロウ 出版社にいた会社員の時は手取り10万円くらいで何とか食べていける暮らしでしたが、会社を辞める数年前くらいから他の会社から執筆の仕事依頼が増えました。それである程度の生計が立てられるようになったので、北海道へ渡っても執筆の仕事でやりくりできました。

今も原稿は手書き。消しゴムはほとんど使わないという

「僕のすべてをぶつけます、手加減しませんよ」

――そして1980年に「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が始まります。きっかけは何だったんですか?

ムツゴロウ 北海道に引っ越してからもエッセイなどを書いていたので東京のマスコミの人とはつながりはありました。「ゆかいな仲間たち」の始まりは、後にフジテレビの社長になる日枝久さんと新橋でご飯を食べていた時に「誰も行ったことがないような場所へ行って思う存分動物と触れ合いたい」という話を僕がしたんです。そうしたら日枝さんがいきなり立ち上がって、僕の手を握りながら「畑さんそれやりましょう」と盛り上がったんですね。「僕のすべてをぶつけます、手加減しませんよ」と宣言はしていたんですけど、番組スタッフの方には「大丈夫? 野生動物だから一歩間違えたら死んじゃうよ」ってずいぶん心配されましたね(笑)。

ライオンに食べられて中指がなくなった右手でタバコを吸う様も堂に入っている

――「ゆかいな仲間たち」は、ムツゴロウさんとゾウが触れ合っていたりとまさに手加減なしでした。台本などは当然なかったということですよね。

ムツゴロウ 相手は野生動物ですからね(笑)。番組のスタッフにも「事前に動物についての説明をしないでほしい」とお願いしていました。前もって動物を馴らしておいたり、なんなら前日に餌をあげておけば簡単に仲のいいシーンが撮りやすいかもしれないけど、僕はそれはやりたくない。とにかく僕と動物が会った初見の場面を見てもらいたかったんです。

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