「僕は男5人兄弟の3番めで、一番上と一番下が戦争で死にました」
――ムツゴロウさんと動物の関係は一番最初はどうやって始まったんでしょう。
ムツゴロウ 僕は1935年に福岡で生まれたんですけど、戦争中に医者だった父に連れられて開拓団として満州に移りましてね、満州で住んでいた家は周りを見渡しても何もないところで、昼間はオオカミの遠吠えが聞こえるし、キジやハトがいくらでも獲れました。ナマズやフナを僕が釣って帰ると、おかずになるからって家族に喜ばれましたね。それが動物との最初の出会いでした。
――戦争の記憶と結びついているのですね。
ムツゴロウ 僕は男5人兄弟の3番めで、一番上と一番下が戦争で死にました。当時は日本の幼年学校に入らないと日本軍の大将になれないので、父親が兄を幼年学校に通わせるために、僕も一緒に小学校2年の終わりくらいに日本に送り返されました。帰ってきてから兄貴は必死で勉強してましたけど僕は野放しで、母の本ばかり読んでいました。バルザックとかプーシキンの小説が好きでしたね。漢字も大体覚えてしまって、新聞を読んでいる祖父に「正憲、これはなんて読むんだ」と呼ばれる役目でした。そうこうしているうちに戦争は終わっていましたね。
――野放しとは言いますが、大分県立日田高校から東京大学の理学部へ入られています。
ムツゴロウ 親は医者になれとうるさかったんだけど、僕は医者になる気はまったくなかったんですよ(笑)。当時は東大の理科2類から医学部に行くこともできたので、それで親を説得しました。でも大学では医者になる勉強はせず、アメーバの研究に没頭してました。自分の血を抜いて白血球を取り出してね。アメーバってあらゆる動物の命のもとなんですよ。
会社員時代は犬1頭さえ飼っていなかった
――大学卒業後は会社員生活を経て、36歳の時に「動物との共存」を求めて北海道へ移住されました。23歳で結婚されて、36歳の時には娘さんも生まれていたと思うんですが、その決断はどうやってしたのでしょう。
ムツゴロウ 女房と結婚したのは大学を出てすぐでしたね。女房とは中学2年生の時からの付き合いで、娘ができたので安定した仕事をしなければならないと思って、学研という出版社に就職しました。僕は誰もいない土地が好きで毎年夏になるたびに、家族旅行はスキー場へ1週間とか2週間とか行っていました。夏は誰もいませんからね(笑)。そのスキー場である出来事があって、移住を考えるようになりました。
――どういうことでしょう?
ムツゴロウ 一緒に山を歩いていた時に、3歳の娘が虫に刺されて泣いたことがありました。それを見て、僕は自然にかこまれたところで育ったけれど子供たちが自然からずいぶん離れていることに気づいてショックをウケたんです。東京での生活自体を変えないといけない、自然を身に浴びて生活しないと、心が育たない部分があるんじゃないかと思ったんです。会社員時代は生活にヒーヒー言っている状態、家には犬一頭さえ飼っていませんでした。